ちきりんさんの問い「日本はいったい何で『誇りのもてる国』になることを目指すべきなんだろう?」について考えてみた。
#790 「なにで」誇りのもてる国になりたいですか?
本当にお恥ずかしい話しだが、私は20代くらいまで
「日本人は優秀な民族だ」
「日本製品は世界中のどの家庭にも必ずひとつはあり存在感を示している」
「世界の一流ブランドは日本人消費者が支えている」
なんて言葉をにわかに信じ、そしてそれをどこか「誇らしげ」に感じていた時代があったように思う。
ちきりんさんのVoicyを聴きながら、
90年代、出張で行ったローマの某ブランド店で店員と激しく口論したことをふと思い出した。
私はそのブランドのTシャツが欲しくて、購入する気満々で入店した。
しかしお喋りに興じる店員さんたちは、出迎えてくれるどころか、まるで私が透明人間かのように視線すら送ってこない。
その後、あるご婦人が入店するなり、店員たちは「マダーム♡」と目をハートにして一斉に迎えに出た。どうやら地元のお得意さんらしい。
私に対する粗末な扱いに対してなのか、ご婦人との扱いの差に対してなのか。いずれにしても腹を立てた私は、一番近くにいた店員のお兄さんに、
・「May I help you?」のひとつも無いのは店員としてどうなのか?
・大型バスを店の前に付けて日本人観光客が店内に雪崩込み、漁るように買い物をし、嵐のように去っていくことに閉口している心情は理解できる
・確かに日本人は「小さい買い物」しかしないけど、例えキーホルダーひとつの購入であっても客は客であること
・私たち日本人(観光客)があなたたちの産業界を支えているというのに、粗末に扱うのはどうかと思うこと
そんなことを、延々と店員さんそして後方支援にやってきた店長のふたりに対しぶちまけた。
いま思えば、どこまで傲慢で、どこまで未熟で、無知で、情けなく、浅はかな人間であったことか。
恥ずかしいというよりも、どこか優生主義的な自分の発想が我ながら恐ろしい。
一方、あの時はあれで私は心のどこかで「日本」という母国に対して、歪曲した『ほこり』を感じていたのだと思う。
いま振り返ると、私のああした言動は日本人であることを「誇らしげ」に「偉ぶっていた」だけであって、『ある国家を誇りに思う』のとは違うと言える。
なので私には、「経済大国」であることが「自国を誇りに思う」ことには繋がらない。
ちなみに「偉ぶる」と『偉い』も異なるのに、当時の私にはその辺の認識も実に曖昧だった。
※『偉い人とは』
ちきりんさんの問い「日本という国の何に誇りを感じるか」。
私はこの国スペインに住んで31年が経つ。
そして、ここ10年ほどのスペインにおける「日本ブーム」を喜ばしくも驚きと共に観察している。
なぜスペインの人はこんなにも日本が好きなのか。
もちろん日本食ブームやアニメ・マンガといった文化的側面も手伝っているのであろうが、何よりも2011年の東日本大震災が大きなきっかけであったと私は感じている。
あの惨事の中、窃盗、強奪、暴動などが起こることなく、静かに列をなし秩序を維持し続けたあの様子は世界に衝撃を与えた。
世界が日本を見る目がはっきりと変わったのは、あの時の日本シチズン(国籍を問わずあの状況にいた全ての人々)の「徳」(Civic Virtue)を目にした瞬間だったのではないだろうか。
それ以降、あの姿そのままが「にっぽん」のイメージとして定着したと肌で感じる。
そして、周囲のスペイン人や他国の人から、今でも「あの時の日本」を称賛されるたびに、私は心地の良い『誇り』を感じている。