私は「きちんと」フットボールを観たいとき、実況も、解説も、マイクで拾われるスタンドの盛り上がりすらも遮断して、イヤホンでショパンを聴きながらフットボールを観る。

これは、もう何年も前から私の習慣となっていて、いまのところ私の中では、これがフットボールを「素」で捉える一番快適な環境だ。

クラシックにはちっとも詳しくないし、なぜだか分からないけれど、インスピレーションが沸き、思考に輪郭が生まれまとまり、言葉に変わる。

そして、それがとても心地良い。

実況や解説を聴きながら試合を観ると、自分の目でフットボールを見ようとしなくなるからかもしれない。

 

映像を停止しながら、矢印を引っ張ったり、点で選手を繋いだり、スペースを塗りつぶしたりしながら戦術解説をするようなフットボール番組も、私はあまり見ない。

 

他者から見せられているものを、まるで「自分で見えている」かのように錯覚するのが怖いのかもしれない。


いずれにしても、私は今日もショパンを聴きながら試合映像を観ている。

カードはFIFAワールドカップカタール2022「日本対スペイン戦」。

どうしても断れず引き受けた指導者カンファレンスで、今月末2コマ登壇することになり、主催者から頂戴したお題が「日本対スペインの試合分析」となっているためだ。


私は「フットボール観戦の面白いところは何か?」と問われたら、迷いなく「そこにある監督の意図を読み取り紐解く作業」と答えるだろう。

監督の意図は、試合のプロポーザル(提案)となって選手・チームのビヘイビアに映し出される。

森保監督に「スペイン人指導者みんなで、あのときの森保監督の意図を紐解かせて頂きます!」とご挨拶LINEを送ったら、折り返しすぐにお電話をくださり、「自分の課題も分かると思うので、是非みなさんの視点を共有してください」と仰ってくださった。


現場を経験した人になら分かるだろうが、監督が意図して臨んだことなんて、実は脆くて、儚くて、不確実で、変動的で、流動的で、心許ないものだ。

フットボールにおける目に見える現象や結果というのは、どこまでが偶然で、どこからが意図した成果・結末なのか分からないもの。

だけど、いや、だからこそ、そこにある監督の「意図」を感じたとき、読み解けた気がしたとき、私はたまらなくフットボールが「楽しい!」と感じるのかもしれない。

スペイン人指導者の受講生みんなと一緒に、森保監督の意図とあの試合のプロポーザルを、選手そしてチームのビヘイビアから丁寧に紐解いてみたいと思う。

楽しみ!