ロシアのウクライナ侵攻後、多くのウクライナ市民が欧州各国に避難してきている。私たちのクラブでも、たくさんのウクライナの子供たちを受け入れているので、この世界情勢はまったくもって自分事だ。

聞くところによる、18歳以上の男性は出国できないらしいので、そのほとんどが子供とそのお母さん・おばあちゃんたちである。

彼らとは、互いに充分な意思疎通ができるだけの共通言語がないため、いつもGoogle翻訳さんにお世話になっている。

ある日、子どもたちの練習を見ていたら、ウクライナ人のお母さんがとてもお怯えた様子で何かを訴えかけてきた。

そのお母さんは、一人の男性を指さし「ロシア、ロシア・・」と連呼した。

その男性は、他のご父兄と同じように自分の息子の練習を見学していただけなのだが、どうやらその時身に着けていた上着が、ロシア代表チームのウェア―であることが分かった。

私たちはその男性を近くに呼び寄せ、「あなたはロシア人じゃないですよね?」とあえて質問をし、「違います」と男性に答えてもらうことで、怯えるお母さんを落ち着かせようとしたが、彼女は避けるように、逃げるように、ただただ怯えながら「ロシア、ロシア」を連呼し続けた。

ロシア代表チームのウェアーを着ていたその男性は「ロシアW杯で見て、かっこよかったから買っただけなんだけど・・」と申し訳なさそうにしていた。

 

そんな悪気の無い男性の言葉にも、「ロシア、かっこよくない」。そう言い放つ彼女の目には、恐怖と怒りが入り混じった、炎のようなものを感じた。

私たちには、この女性の恐怖や不安をはかり知ることはできない。どんなおぞましい体験をし、国を後にしてきたのか。大切な人たちを国に残し、ある日突然あてもなく無力感と共に異国で生きていかなければならないという事実が、何を意味するのか。

私たちにできることは、「大丈夫、ここではあなたたちに危害を加える人はいないから」と、満面の笑顔で子どもたちを迎え、彼らの片言のスペイン語に耳を傾け、手を取り、肩を抱いてあげることしかない。

私たちは、9面のグランド、選手寮、オフィスなどで構成されるこの施設のことを「スポーツCITY」と呼ぶ。

 

私たちが生活を営む日常がそのままそこにあるがごとく、CITYは「社会」を意味する。そこにはフットボールを楽しむ男の子も、女の子も、障がいを持つ人も普通に当然のようにいて、彼らを応援しにくるお父さんやお母さん、ベビーカーに乗ってくる乳幼児もいる。杖をついたおじいちゃんや、車いすに乗ってくるおばあちゃんもいる。そして、世界情勢に追われ予期せずここに辿り着いたウクライナの人たちもいる。

私たちは、社会の縮図がそこに反映されるような空間を生み出すべく「コミュニティ」の概念を、この町におけるクラブの存在意義として感じている。

それを体現すべく、現会長が25年前にクラブを買収した際一番初めに手を付けたのが、スポーツCITY建設のための土地買収であったことも、フットボールクラブへの社会的要請の強さとそれに呼応する経営者の意思を示している。

私たちのクラブでは、ウクライナ人の子どもたちを無条件および無料で入団させるよう直接会長から指示があったが、その意図は、これらのウクライナ人家族に「コミュニティ」という「居場所」を提供することにあったのだと推測する。

フットボールをする者も観る者も、経営する者、運営する者、支援する者も。フットボールクラブに関わる全ての人たちに、「私はこのクラブの構成員である」という当事者意識が生まれるのは、実は、非日常を演出するスタジアムではなく、日常が繰り返される「スポーツCITY」でだと私は感じている。

 

私は、私の職場でもあるこの空間が大好きだ。そして、このコミュニティをこよなく愛している。