ワールドカップを見ていると、やはり世界のトッププレーヤーは「チューニング度合い」が最適であると感じる。

 

こうしたトッププレーヤーはメガ・ビッグクラブに所属しているケースが多いため、彼らが身を置く日常の環境も当然世界最高レベルである。

 

施設、機器、器具といったインフラは当然のこと、人的リソースも充実しており、

 

・スポーツサイエンス(コンディショニング)

・医学・生理学(怪我、回復、予防、疲労、休息、栄養)

・フットボール学(技術、戦術)

・スポーツ心理学

・情報データ分析

 

といった様々な側面からプロの専門家たちがアプローチしチューニング、選手を最適な状態に維持している。

 

本大会、久しぶりに見たメッシは全盛期と比較して明らかに切れやスピードが落ちている。それなのに相変わらず、誰も彼からボールを奪うことができない。

 

サッカーの「サ」の字も分からない私の兄でさえ「メッシって凄いね!」と興奮してLINEを送ってくるくらいなので、メッシが与えるインパクトは計り知れない。

 

先日、スポーツ教育学者の平尾剛氏から新しい視座を得た。

 

スポーツ教育学、運動学、身体論を専門とする研究者である平尾さんのお話しは、とにかくおもしろくて、いつも私の好奇心を満腹にしてくれるのだが、雑談の中で「身体知」という概念をご教示くださった。

 

 

体感身体知とは、私たちに馴染んだ言葉に置き換えれば空間認知能力とほぼ同義である。これは「今、ここ」がありありと感じられる身体知で、具体的にいうと、対象との距離がわかる遠近感能力、視覚に頼らず周囲360度を捉えられる気配感能力、自分のからだのニュートラルポジションがわかる定位感能力がある。

 

 たくさんの人々が行き交う街中を接触することなく歩けるのがそうだ。すれ違うはるか手前でその人との距離を感じ取り、右あるいは左に微妙にコースを変えているからぶつからずに済む。

 

このお話を聞いた時、「あ、これだ!」と思った。

 

そして、こちらの動画のプレーと重ね合わせて、メッシの凄さがどこから生まれているのか、なんとなく漠然とだけれども分かるような気がした。

 

(ラッシュアワーの品川駅にメッシを置き去りにしても、やっぱり彼は何千もの人波をスイスイとかきわけるだろうか?)



「鬼ごっこ」で体得する『遠近感』

 

「かくれんぼ」や「ハンカチ落とし」で体得する『気配感』

 

「木登り」や「ジャングルジム」で体得する『定位感』

 

メッシもさすがに、幼少期に「鬼ごっこ」や「かくれんぼ」ばかりして遊んでいたわけではないだろうが、遠近感、気配感、定位感ともに抜きんでた能力の持ち主であることは違いない。

 

言語化、数量化できない身体作動の総称「身体知」という概念。

 

身体知を駆使しているプレーヤーに見られる「間合い」「速度調整」「進行方向の切り替え」は、平尾さんが話されるとおり、フットボーラーのそれと50メートル走や反復横跳びの記録とが必ずしも比例しないことの説明も成り立つ。

 

もうひとつ、メッシの凄さである「判断済み、選択済みの『決定』を直前に取り下げる能力」は「何知」と呼ぶのだろう。

 

運動習得とは、自らの感覚を探りながらその動きに必要なコツやカンを捉えること。

 

動きを実践するときに、運動主体の内面に生じる感覚が「動感」。

 

メッシの「凄さ」は、この「動感の充実」にある。そんな気がしてならない。

 

これまで「フットボーラーのチューニング度」についてあれこれ考えを深めてきた私だが、ここに新たな概念である「身体知」というアスリートの根底にある重要なファクターが加わったことで、ますますフットボールを深く考察するのが楽しみになった。

 

ご興味がおありの方は是非、平尾さんのご著書はじめブログをお読み頂きながら、今日のワールドカップ決勝戦をご堪能頂きたい。