カタールW杯、日本代表とスペイン代表の試合を前に「スペインの選手には何が見えているのか?」というお話しをしてみたい。

 

拙著『教えないスキル ~ビジャレアルに学ぶ7つの人材育成術~(小学館新書)』をはじめこれまで機会があれば発信してきたように、私たちビジャレアルCFでは、2014年以降、指導者のマインドセットと選手の学習環境の改善に取り組んできた。

 

本大会のメンバーでいうと、当時の指導改革の渦中に育っていった#16ロドリゴ(1996年生)、#4パウ・トーレス(1997年生)、#17ジェレミ・ピノ(2002年生)といったアカデミー生に私たちがどのようなアプローチをしてきたか、一部ご紹介したい。

 

 

【learn(覚える)からInterpret(解釈する)へ】

 

まず、指導者が自らの指導風景を動画に収録し、音声とともに振り返りを繰り返すことで、それまでの指導が「選手に『型』を覚えさせる」というものであることに気付いた。

 

そして以来「選手の学び」を追求し、指導者の進化に取り組んだ。120名の指導者が1年かけて「求める選手像」についてディベートし、そこで出た「姿」のひとつが「目の前に起こることを現象として理解し、それらを解釈することができる選手」というものであった。これを「インテリジェンス」なんて言葉で表現することもある。

 

私たちの進化へのチャレンジは、「learn(覚える)」に留まらず「Interpret(解釈する)」まで選手を導く学習環境を提供するという点にあった。

 

そして「概念は言葉から生まれる」や「人の思考は言葉が創る」といった視点から、使う言葉の選択を神経質なほど丁寧に行うなど、一見フットボールとは無関係なことにも取り組んだ。

 

こうした取り組みは、自分の中の「あたり前」に?マークをつけ、自らの信念や確信を解きほぐし、これまでの学びを崩す作業でもあった。

 

クリティカルな思考を持つこと。考えること。問うこと。思考に余白を設けること。判断を保留すること。

 

こうして、指導者の継続学習を通じて選手の学習環境改善に全力を注いだ。

 

いまこうして振り返ると、フットボール界のトレンドから解放された指導者たちは、意気揚々と目を輝かせながら、臆すことなく自由で多様な意見を出し合えるようになっていった気がする。

 

毎週2時間120名の指導者が学び合う場で、当時「攻撃と守備」について議論を繰り広げたことも懐かしい思い出だ。

 

フットボールは、野球のように「攻・守」のロールズ(roles:役割)がはっきりと分かれている競技とは異なり、「攻守」の括りでは零れ落ちてしまう部分が多い。あえていうならば、それは「シチュエーション(situation:状況)」として捉えるのがふさわしいのではないか?といった意見が出た。

 

以降、ビジャレアルでは「攻めと守り」「攻撃と守備」ではない表現を用いるようになった。その経緯を研修などで共有するたびに、他クラブからは怪訝そうな顔をされたが、最近ではそうした概念もかなり市民権を得るようになった。

 

【フットボールを4局面で理解させて良いのか?】

 

また「4局面」についてのディベートも、ひとつの事例として振り返ってみたい。

 

4局面とは、①ボール保持 ②ボール非保持 ③攻・守トランジッション ④守・攻トランジッション といったゲーム中の情勢を4つに整理し理解されるものだが、私たちはこの「4局面」に対しても問いを立てた。

 

全てその議論の内容をここで書ききれるものではないが、ここでも多くの問いが立った。

 

・トランジッションって「はじめ」と「終わり」は、どこからどこまで?

 

・それらに境界線はあるのだろうか?

 

・4つの局面をそれぞれが独立したものとして、選手に理解をさせて良いのかな?

 

多様な意見が、ここでも熱く交わされたことを思い出す。

 

【コンティニュイティという概念】

 

そして、私たちがこうしたディベートを経て得た新たな概念は「コンティニュイティ(continuity:連続性、継続性)」というものであった。一連性、繋ぎ、隙間や間、といったニュアンスを加えると分かりやすいかもしれない。

 

こうして思考を深める作業を繰り返し、改めてフットボールは「連続性」そのものであり、境界線を引くことが難しく、断片的、断続的なものとして捉えることが困難な競技である、というのが私たちの共通認識となった。

 

【選手は指導者が見せるフットボールを見ている】

 

「選手は、君たち指導者に見せられているものを見ている、という自覚はあるか?」

 

一方的に概念を与える弊害についても指摘し合いながら、マインドセットを進めた指導者たちは、面白いほど変容していった。

 

指導者が「攻めろ!守れ!」といえば、選手は「それ」を「そのもの」として理解する。

 

4局面の話しも同じで、それぞれを独立したものとして「見せられた」選手は、彼らのビヘイビア(behaviour:行動、動作、行為)もそれに応じたパフォーマンスとなって表現される。

 

レーンやゾーンも同様に問われ、議論の対象となった。

 

選手には、現象を自分の目で見る力を育んで欲しい。指導者は、彼らが状況を把握し、理解し、解釈し、判断できる力が養われるような学習環境を提供する。私たちの指導改革は、まさにそこへのチャレンジであった。

 

どのカテゴリーを見てもスペインのチームが一様に、混沌とした状況下でもどこか滑らかに流れるようにプレーを遂行し続けるのは、こうした現場における日常の取り組みと、選手の独特な思考メカニズムが多少なりとも関係しているのかも知れない。

 

そんなことを思いながら、木曜日の(日本時間は金曜日)大一番を楽しみにしている。

 

がんばれ、にっぽん!