8月15日、終戦の日。「疎開」とは、こういう感じだったのだろうか。そんなことを考え一日を過ごした。
3月以降、戦火を逃れスペインの家庭に引き取られ避難生活をしているウクライナのサッカー少年たちを、微力ながら支援している。
8月15日、スペインは祭日なので連休を利用して、久しぶりに少年たちに会いに行って来た。
彼らは、私が住む町から620kmほどの町に住んでいるので、車で7時間ほどかかる。
4ヶ月ぶりの彼らは、背が伸び、日焼けをし、スペイン語がとっても上手になっていた。
私たちの活動は「フットボールを通じた人道支援」としているので、今回の支援も「サッカー x 学業 x モビリティ」を軸に育成教育プログラム化している。
ちょうどこの連休がラ・リーガの開幕節と重なったため、ビジャレアルの開幕ゲームとなった対バジャドリード戦に子どもたちを招待した。
ビジャレアルは、私のこうした個人的な活動を快く受け入れ、ウェアー提供やチケット手配など全面的に支援してくれている。
試合終了後、関係者エリアに特別に招いてもらった子どもたちは、選手にサインを貰ったり写真を撮ったり大興奮。
ウクライナの国旗にサインをもらう子どもたちに「お?君たちはウクライナ人か!」と優しく声を掛ける選手たち。
リュック一つで国境を越えて来た子どもたち。親がすでに戦死している子。町をロシア軍に占領され両親の元に帰ろうに帰れない子。
そんな彼らを無期限、無償で引き取り、我が子同然育てているスペインの心優しい人びと。
経済的負担はもちろんのこと、言葉も通じない15歳というお年頃の子を育てるのは、美談では済まされないはず。
スペインの人たちは皆こう言う。「3人食べるも、4人食べるも同じさ!」と。
終戦記念日の今日、77年前と違うのは、避難生活をしている子どもたちの「情報量」かもしれない、そんなことを考える。
彼らは「あたりまえ」だが、スマートフォンを持ち、ネットを駆使し、母国の家族やお友達とオンラインで繋がっている。恋人と遠距離恋愛を続けている子もいる。
ネット上で欲しい情報は取りにいけるし、時には要らない(知りたくない)情報も入ってくることだろう。
遠くに居れば居るほど、不安は膨らむはず。この子たちはこの笑顔の裏側で、どれだけの不安や恐怖を抱えているのだろう。そう思うと、いたたまれない。
私たちは、トラウマ対策のため、あえて「フットボール留学」のテイストでこの支援活動をしているが、これは「現代版 学童疎開」ではないだろうか。
『この子たちが一日も早く、ウクライナの親元に帰れる日が来ますように』
ただ祈るしか、私にはできない。