欧州ではメガクラブのスーパーリーグ構想などドタバタしているが、私も改めて『サッカークラブの存在意義』について考えてみたい。
古巣のビジャレアルを今更ながら俯瞰してみると、
①プロクラブとしての競技力&スポーツ株式会社としての事業力
②自治体機能まで果たす社会的責任
といった、大きくふたつの存在意義を果たしていると感じる。
クラブをハブとし、行政、産業、商業、教育、医療、福祉、環境といった社会を繋ぐ。
人口5万人という小さな町だからこそ、プロクラブとしての存在意義を厳しく問われる事情はあるものの、
市民・県民がクラブに期待することは、何なのか?
いま地元地域が抱えている社会課題は、何なのか?
常にアンテナを高く立て、耳を傾け、声を拾う作業を怠らない。
ビジャレアル郊外にあるトレーニングセンターには、800名の選手と120名の指導者、そしてそんな彼・彼女らを応援にやってくる家族や親戚を合わせると、大勢の人びとが集まる。
いまでこそ感染対策のため制限下にあるが、週末は「どこのお祭りか?」と思うくらい人でごった返し、施設内には歓声が響き渡る。
まさにそこには社会の縮図ともいえるコミュニティが形成されている。
ロッチュ会長が就任してすぐに手掛けたこのトレーニングセンターの建設も、「練習場確保」という目的以上に、この空間に「小社会・コミュニティを形成する」ということこそが最上位のビジョンにあった。
プロクラブが社会に手を差し伸べ、社会が選手を育てる。互いに支え合いながら、より良い社会の形成に取り組む。これをあるべき姿としている。
中学1年生からU23の全10チーム、総勢250名ほどの選手たちが、知的障がい、脳性麻痺、ダウン症、自閉症、青少年更生施設、高齢者センター、児童更生施設、動物愛護センター、ろうあ者連盟、がん患者支援協会などといった団体と、パートナーシップを結びこうした交流活動を行っている。
数年前撮ったこの動画には、いまでこそラリーガ1部やスペインA代表で立派に主力選手となっているような選手たちも数名出てくるが、プロ選手がクラブの存在意義を認識し、アスリートとして社会に何ができるのかを考えるいいきっかけになっていると感じる。
選手たちが、高齢者の方々の手を優しく握る姿や、障がいを持つ子供を優しく抱き締める姿は、美しいとしか言いようがない。
スポーツは、私たちの思いや感情を表現する、大切なツールである。
だからこそ、何があってもスポーツを止めてはならない。そう改めて思う。