都合があって、昨夜リアルタイムで「なでしこジャパン対スペイン代表」戦を見れなかったので、今朝、強化部にお願いして試合映像をダウンロードしてもらった。

 

私はフットボールをきちんと観たいとき、テレビよりパソコンを選ぶ。そして、音声はオフにして、iPhoneのSpotifyを立ち上げイヤホンをつなぎ何故か「ショパン」を聴きながら試合をみる。そうすると雑念が消えるので五感も冴え集中できる。ちょっとした私流の儀式である。

 

さて、そのShe Believes Cup初戦。「いよいよスペインは、なでしこ相手にもここまでやるようになったかぁ」というのが印象。

 

スペイン代表は、なでしこにとって自分たちの現在地を知るために、ちょうどいい指標・基準になる相手だと私は思っている。

 

むかし…といっても、そんなに遠い過去ではない「むかし」、なでしこジャパンにはとても歯が立たなかったスペイン代表が、いまやここまで強化されている事実。

 

選手たちは、あの当時の、あの頃の、似たような同じメンバーなのに、彼女たちはこの間、間違いなく選手として研磨され成長した。そして、チーム力といった視点からもスペイン代表の勢いは止まらない。

 

この試合を見る限り、選手個々とか、起用云々とか、誰のミスとか、代表として、といったことよりも、どちらかというと、両国の差は「彼女たちの日常」に起因している気がする。

 

スペインの女子選手を取り巻く環境改善こそが、国内リーグのレベル向上のみならず、代表チーム強化に最短で直結してきた背景は、これまでもブログやインタビューなどで何度かお話しをしてきたので、今日は割愛する。

 

代表チームの結果や好不調について「代表チーム(スタッフ/協会)」を主語にして論じることは危険だと私は思っていて、何故ならそれは、選手個々の「日常」や「日々」はクラブに属すものであるからである。

 

私はクラブの人間なので、いつも、代表入りしている選手たちは「私たちクラブのものである」という誇りとともに、責任も感じている。

 

選手はクラブが育てている。選手はクラブのものである。時間と、愛情と、お金と、時に私たちの生活も犠牲にしながら、良い時もそうでないときも、向き合って毎日選手を育てているのは、私たち「クラブ」だ。

 

代表のユニフォームを着たからって、選手は、急に、何かが分かったり、理解したり、突然特別なことができるようになったり、決してしないものだから。

 

所属クラブ、所属リーグで、日々何を学び、どう日常を過ごしているのか。

 

選手たちの「日常」が「習慣化」することで、彼ら・彼女たちの「学びの環境」もスタンダード化する。

 

ひとは「習慣の生きもの」なので、選手の日常や背景といった「コンテキスト」をどのように構築するか次第で、それ相応の選手が「産まれる」。それはもう自然の流れだろう。

 

昨日の試合は、両国ともほとんど全員が各母国リーグでプレーする者同士の対決で、まさに各々の国内リーグで「習慣付いているもの」が、それぞれ形となって溢れ出たような、そんな印象を受けた。

 

進化するとは、学ぶということ。これまでのやり方や、自分が知っている方法だけを、何年も何十年も疑うことなくただ繰り返しし続けるところに、決して進化は生まれない。

 

1992年からスペインの女子サッカーをみているので、昨日の試合映像を観ながら、ふとそんなことを思った。

 

昨今、「チーム」というひとつの共同体において「共通理解」という言葉がよく用いられるようになったが「理解を共有する」ということが、本当にどこまでチーム内で浸透しているのかは外からはなかなか測りかねるし、そもそもチーム間で共有しているのは、果たして「理解」なのだろうか?「納得」なのだろうか?私にはまだよく分からない。

 

いずれにしても、私はあまりなでしこジャパンを悲観していない。

 

映像をみながら私なりにキーワードを書き出してもみたが、この試合に限って言えば具体的な課題がいくつかはっきりしていると思うし、そのための対策や解決策があると思うので、きっとこれからチーム作りの中で改善されるに違いない。

 

課題修正の繰り返しを地道に続けていくことで、きっと道が開けてくるはず。

 

なでしこジャパンが「世界」を奪回する日が、待ち遠しい。