最近、「マインドフルな指導」ということについて、ずっと考えています。


「マインドフル・コーチング」とでも名付けて、いつか上手にまとめてみたいな、と思っていたところなので、ここに共有させて頂きます。


私は、日本での指導経験がありません。ただ、これまでに「大会に帯同する」という形ではありますが、日本でピッチレベルに立ち会わせて頂く機会が幾度かありました。


とある大会に立ち会わせて頂いた時のこと、ある参加チームの監督さんのあまりの横暴ぶりに、びっくり!もう本当に、ビックリしてしまいました。


走って行って「あなたは指導者を名乗る資格がない」と、その監督を引きずり出したい衝動にかられるほど衝撃的な体験でした。主催者の方に「ひどくないですか、あれ?」と言うと、「残念ながら、日本にはまだまだああいう指導者が結構いるんです」とのことでした。あれは、まさに私にとって、洗礼でした。


また、別の大会に顔を出させて頂いた時のこと。


お隣のベンチや、背中合わせのピッチ背後のベンチから聞こえてくる指導者たちの、あまりに醜い有り様に、憤りと、悲しみと、絶望感でいっぱいになりました。


噂には聞いていたけれど、日本の指導者レベルはこんなものなのか、と。


日大アメフト部が問題になった時にも、色々と考えさせられました。


以前、このブログでも、


Learn(学び)

Unlearn(学び壊し)

Relearn(学び直し)


という、指導者のコーチングレベルをあげるために必要な、学びのプロセスついて書かせて頂きました。


「声を荒げ相手を黙らせることで人を支配し、物事を解決してきた人間は、恐らくそうした教育・指導環境で育ったのだろう。だから、「言葉」を使って「コミュニケーション」を育み「人間関係」を構築する、といったメカニズムがそもそもない。」とも書き留めてありました。

 

残念ながら2年前に、他クラブに移籍してしまったのですが、私に衝撃的な学びを与えてくれたヘッドオブコーチングがいます。


弊クラブ所属の120名の指導者は、毎週2間、そのHoCの方と学びの場が設けられていました。


私も一応、HoCのライセンスを取得しているのですが、そのHoCの方から得た学びは計り知れないものがあります。


そしてその方が、私達に伝えたかったのであろうことが、今頃になって少し分かり始めた気がしています。


当時、その学びの場で、指導者の口をついて出てくるのは、「勝つ」「結果」「相手」といったものばかりでした。その度に、HoCから素早い突っ込みがあったことを今でもよく思い出します。

 

「勝つためには」とか、「相手のFW」など言おうものなら、「それは自分で何かすればどうにかなるものなの?」と、何度も何度も、そして厳しく指摘されたものです。


またこれは、私が個人的に受けたカウンセリングですが、「いま」「ここ」に意識をフォーカスする習慣付けのトレーニング。私自身が指導者として内的に大きな変化を遂げたキッカケになりました。


ー「駅を通過する電車」をイメージしてみよう。


ー「何が見える?」


ー「君は、その電車に乗っている自分が見える?」


ー「それとも、通過するその電車に乗っている君を、駅のホームから見つめる君が見える?」


電車に自ら乗っかってしまうのか、駅舎から通過電車に乗っている自分を見つめるのか。意識の置き場しだいで、見える世界はまるで違うよ、と。

 

そこから、「指導者が、勝ち負けにどっぷりと意識を奪われていたら(気を取られていたら)、選手の学びや成長に気を配れるはずがないよね」というところにたどり着く。

 

「結果」とか、「相手」とか、「勝ち負け」などは、自分が何かすればどうにかなるものではないのだ、ということへの指導者自身の気づき。


※ここで言う「結果」の解釈は、「勝敗」はもちろんですが、「(結果的に)ゴールを決めた」とか「出せと思った方にパスを出した」といったことも「結果」として理解しています。


これまで指導者としての25年間において私は、暴言を吐いたり、人を罵ったり、軽蔑したり、否定したり、物を投げつけたり、蹴飛ばしたり、そういったことは誓って一切ありませんが、熱く、そして「厳しい指導者」だったと思います。


「プレス遅れてるよ!」「ラインが下がり過ぎじゃない?」「左が空いてるでしょ?」「今のは打っといて(シュート)いいんじゃない?」


指導者は、どうしても、こういった、すでに自分が出している「答え」を選手に押し付ける習性があるものです。


選手に何が見えていて、彼らがどう感じ、何を思い、何に危険を感じ、何に自信を持って、判断に至っているのか。個に歩み寄ることが、なかなかできません。


指導者として自分改革をするために、自分が何かすればどうにかなるものに「意識」を据え置くトレーニングをすれば、雑念は自然と消え去り、不要なエネルギーを浪費したり、無駄に感情を荒立てることは無くなる、という発見への導き。


最近、日本で弊クラブのメソッドについてお話をさせて頂く機会が増えました。それに伴って、関係者の方々から「ビジャレアルの指導者が、何も言わないコーチングになったのは」というくだりを聞くことが増えました。


その都度私は、「あ〜、全く理解してもらえてない」と、自分のコミュニケーション力不足を悔やみます。


「選手に何も言うな、黙っておけ」というのが、ビジャレアルのメソッドでも、HoCの教えでもありません。

 

「いま」「ここ」を認識することがマインドフルな状態だとすると、それを指導現場に置き換えて「選手」「向上」をマインドフルな指導だとしたら、どんなに質の高い教えと豊かな学びが溢れるだろう。


「勝ちたい」「勝ったら嬉しい」はしっかりと持ち合わせたまま、しかしスポーツの究極の目標を勝敗などの「結果」ではなく、「アスリートの日々の向上」であると理解する指導者が増えれば、自分改革を進めるコーチが増えるはず。


事前に用意してある自分の「答え」を台本にして、チームを遠隔操作しようとする指導者の思考メカニズムを突き詰めて分析すると、彼らの言動の源が「自分(=監督)」にあることが分かります。


「俺の言った通りになぜ出来ないんだ?」「だから言っただろう!」「見えてねえぞ、全然!」‥


俺が不愉快、俺が悔しい、俺がイラつく‥


こうした言動は、いずれも「俺」が主語であることから生じます。


スポーツにおいては、「アスリート」が主役、主語でなければなりません。


それに気付き、理解し、認識した上で指導にあたっているコーチがまだまだ少ないのが現状です。


クロスボールを自分の指示通りに出せなかった選手の胸ぐらを掴んで「ここに上げろって言っただろう!」と詰め寄る指導者は、「プロだから勝利にこだわって当然」と言い放ち、「ダービー戦で負けたらクラブが許さない」とか、「大事なのはパッションだ!」などなど、様々な理由付けをしながら、「プロセス」よりも「結果」を優先する自分を正当化します。


「勝利の方程式」を、もっともらしい様々な理由で作り上げ、自らを落ち着かせたり、自分の不安を満足させる習慣もあります。


怒りという感情が爆発しそうになったら、まず「あ、自分、怒ってるな」と認識する。そして「何に対して自分は怒っているの?」と問うてみる。その答えの原点が「自己を満足させるため」なのか、「選手のために」なのか、に気付けば、きっと次に起こす行動が変わってくるはず。マインドフルな心の持ち方を習得すれば、指導者は変わることができるのではないか、と。


そんな中、世界有数のリーグであるここスペインのラ・リーガ1部で、「選手を主語に」を合言葉に監督業を推し進めているコーチングスタッフが実際に存在します。もちろん情熱的なコーチ陣です。これぞまさに、理想の在り方、目指すべき姿だと、私は個人的に尊敬しています。(個人的な意見ですので、あえて名前は伏せておきます)


ビジャレアルの提携アカデミーである鹿島学園およびカシマアカデミーの指導者の皆さまには、下記のような指標を提案させて頂いています。


【カシマファミリー指導者の指標】


年齢や立場を問わず、人としての尊厳をリスペクトし、嫌味、皮肉、軽蔑、侮辱といった「毒」を含む言葉を使ったり、選手を否定しません。


指導者のひとつひとつの言動を「効果」と「弊害」といった両面から検証、認識し、選手にとって「意味ある学び」が生まれるよう意識しながら指導にあたります。


試合中は「実況中継」的、または「指示命令」型コーチングではなく、


Attitude アティチュード (課題に取り組む態度やその姿勢)


Intentionality インテンショナリティ (アクションに含まれる意図性)


Decision ディシジョン (アクションを起こすに至った判断や決断)


といった、主に「プロセス」に対する「即時ポジティブ(肯定的)フィードバック」を、指導者の主要ツールとし、選手を全面的にサポートします。


たったこれだけでも、「何やってんだよ、テメ〜!」的な指導者が減ると思っています。指導者の意識の置き場、フォーカスをずらしてあげるだけで、指導者としてかなり進化すると思っています。


佐伯夕利子