如何なる理由であれ、危険行為や反則行為は絶対に許されるべきではない。

 

 しかし、今回のこの件と紙一重のようなことが、実は様々なスポーツの育成現場で日常行われている事実に目を向け、改めて見直す良い機会になるだろう。

 

 昔は「許されていたこと」や「当たり前だったこと」が、いまの時代では全く通用しないこと。さらには「犯罪」にすらなりうることを、大人たちが本当に分らない限り日本のスポーツ文化の危機は解決しない。

 

 ベテラン指導者のみならず、若手指導者も、自分たちがされてきたことをそのまま繰り返し「伝統を守る」など綺麗事でごまかしては決してならない。

 

 選手による指導者への信頼は「強制」するのではなく、あくまで「育む」もの。恐怖の埋めつけは、支配そして人を操作するための権力者の勝手な都合に過ぎず、決して「教育」とか「育成」ではない。

 

 繰り返すが、危険行為や反則行為は絶対に許されるべきではない。ただ、重大な過ちを犯し大きな「学び」を得たこの選手が、もし将来指導者を目指すならきっと本当の意味で優秀な指導者になるだろう。いやなって欲しい。逃げも隠れもせず、まっすぐ自らの過ちと向き合ったこの青年の姿を見て、そんな期待をしてしまう。

 

 こうした日本のスポーツ指導の体質は、醜い、時代遅れ、そして明らかに間違っている。だから本当に何とかしなければならない。

 

 サッカーの現場では、日本の選手は「アグレッシブさに欠ける」らしく、指導者から「もっと行けよ!」と指示が出るようだ。どちら側の勘違いか解釈違いか分らないが、「悪態」をつき外国人選手にからむ日本の選手を見て、とても残念に思うことがある。

 

 我クラブでは、3年前ユース以下のチームにおいてコーチングスタッフの構成を大きく変えた。

 

 これまでは、一人の絶対的な権力者(監督)を立て専制的な従来の体系をとっていた。そして、監督の下にコーチなどが配置され、その更に下に選手が位置していた。

 

 改革の手始めとして「選手のための指導」を行うために、まずその体系にテコ入れし、「選手の学びの環境整備」に着手した。

 

 いまは、スタッフ5~6名が「縦割り」ではなく、「横並び」の民主的な体系を取っている。それぞれ一長一短あるものの、つまるところ「リスペクト」。全てはそこから始まるべきで、指導における「What」「How」「Why」を決して間違ってはならないのだと思う。