選手として輝かしい名声を築いたレジェンドたちが、引退後に指導者の道を歩み始める。その多くは、ビッグクラブのU19やU21といったカテゴリーの監督からキャリアをスタートさせることが一般的だ。
「あんな元名選手たちが若手の指導から始めるの?」と驚く方もいるかもしれないが、むしろ私たちのような一般人からすれば、キャリア初期にビッグクラブでこの年代の監督に任命されることなど、まずあり得ない。
この「スタート地点」の差こそが、指導者の世界におけるビッグネームとそれ以外の決定的な違いだったりする。
そんな「業界の当たり前」がある中で、トニ・クロースという人が、小学6年生のチームを「本当に」現場で指導している姿を目撃した。正直、心から驚いた。今日はそんなお話。
※トニ・クロース:クラブと代表の両方で世界の頂点を極めた、ドイツのレジェンド。ドイツが生んだ「パスの巨匠」とも呼ばれる。ドイツ代表114試合出場、17得点。2014年W杯優勝。大会最多アシストを記録し、ドイツの黄金時代を牽引。クラブと代表合わせた獲得タイトル数は30を超える。
【イースター(聖週間)とは】
現在、キリスト教文化圏ではイエス・キリストの復活を祝う「イースター(聖週間)」を迎えている。子どもたちの学校も2週間ほどの休暇期間中だ。
ちなみにイースターは「春分の後の最初の満月から数えて最初の日曜日」を軸に決まるため毎年日付は変わるが、だいたい3月から4月になる。
この期間、ヨーロッパでは子供たちの公式戦が中断(ブレイク)するため、各地で自治体やイベント会社が主催する大会が数多く開催される。
私たちも、ビジャレアルという小さな町の活性化を目指し、県全体でスポーツツーリズムを推進している立場として、このイースター期間に大規模な大会を主催している。
今年は、国内外から101クラブ、268チーム。下は小学1年生から上は高校生まで、男女合わせて4000人の選手が参加。12の会場と31面のピッチで、計628試合。保護者も含めれば概算で1万2000人ほどがビジャレアルに集結するため、その誘導だけでも一大事業となる。(ちなみに私は管轄外のため、この期間は少しゆっくりさせて頂いている)
【イースター大会】
こうした非公式の大会には、大きく分けて3つの形態がある。
- 完全招待制でビッグクラブのみが集う「クローズ型」
- 参加費を払って応募する「オープン型」
- ビッグクラブをシードとして招待しつつ、広く参加チームを募る「混合型」
ビジャレアルのイースター大会は、3の混合型だ。
そして今回、ビジャレアルのこの大会に、世界的レジェンドであるトニ・クロースが、自身の名を冠した「Toni Kroos Academy」を率いて参加してくれた。
https://www.instagram.com/toni.kr8s_academy_madrid/
私がマドリード時代にお世話になった20年来の旧友から「トニ・クロースAcademyのスポーツダイレクターに就任したんだけど、明日からビジャレアルの大会に行くよ」と連絡をもらい、私は彼に会うために会場へ足を運んだ。
正直なところ、レジェンドの名を掲げるアカデミーやクリニックの多くは、本人が開幕式などに顔を出すことはあっても、実際にピッチに立って数日間フルコミットで現場にいることは稀だ。私はあくまで友人に会いに行く予定だったので、トニ・クロースご本人が帯同しているとはイメージがつかなかった。
私が会場に到着するとすでに試合が始まっており、目を凝らすその先には、当たり前のような顔をして(ちゃんと)トニ・クロース本人が立っていた。
【偉大な人の素養】
試合が終わり、ロッカールームへ引き上げる子どもたちとスタッフ。しかし、トニ・クロース目当ての人だかりで会場は混乱。
慌てて彼らのために別室を確保しようと伝えたが、本人は「お気遣いなく。僕はここで大丈夫ですよ」と、遠慮する。そうは言っても放っておける状態ではなく、想定外の状況に急遽対応に追われることになった。
遠巻きにではあるが、現役時代に見ていた彼は「知的な紳士」というイメージが強かった。しかし、これほどの名声を得た人が人混みにもみくちゃにされながらも、自分のチームの子どもたちと3泊4日の遠征を共にし寝食を分かち合っている。
後で大会運営の担当者に聞くと、宿泊ホテルでも大変なこととなっていて、トニ・クロースは食事会場ですら気が休まることがないという。
私はその姿を見て、改めて偉大な人の素養について考えさせられた。
真のレジェンドとは、優勝回数や代表キャップ数で決まるのではなく、「その人そのもの」の在り方に宿るのだと。
人の価値を語る際、「謙虚さ」「礼儀正しさ」または「努力家」であることがよく挙げられる。でも私は、それ以上に「普通」という価値に着目したい。
社会的に一目置かれる存在になった人が「普通であること」を貫くのは、実は想像以上に難しい。(「めずらしい」と言ってもいいかもしれない)
私が出会ってきた「本当に偉大な人たち」は、決まって「ふつう」のことを普通にこなせる人たちだった。
普通(ふつう)の身なり
普通(ふつう)の振る舞い
普通(ふつう)の喋り
普通(ふつう)の関わり
・・・
ふつうのことを普通にできる人の偉大さ。
