今回のパリ五輪で、試合に負け大号泣する柔道家が話題となった。スポーツの世界では、五輪に限らず様々な競技会で、試合に負けたアスリートが号泣するのは珍しくない。実際、「大号泣」や「絶叫」「嗚咽」といった視聴者に強い印象を与えるようなシーンは、前回の五輪でも見られた。

 

これらのアスリートの号泣に対する世間の反応は様々で、「みっともない」や「大げさ」といった嫌悪感や違和感を示す人もいれば、「がんばれ」と共感を感じる人もいる。

 

一連の流れをリアルタイムで追えなかった私は、後日、話題になっていたそのシーンを動画で確認した。

 

そこでまず私の脳裏に浮かんだのは、嫌悪感(みっともない)、違和感(大げさ)、共感(がんばれ)といった類の個人的感情ではなく、「フラストレーション・マネジメント」というひとつのキーワード(言葉)であった。

 

ちょうど五輪開幕1週間前の7月20日、江戸川大学で千葉県バスケットボール協会主催の講演会を実施させて頂いた。(※千葉ジェッツ、アルティーリ千葉、ZOZO社、江戸川大学、千葉県バスケットボール協会共同事業)

 

その講演の終盤、「そこまでやるかビジャレアル!」と題した番外編で、私たちがアスリートの成長支援をどこまで深く追求しているかの事例を紹介させて頂いた。そしてそこで取り上げたひとつの事例が、ちょうど「フラストレーション・マネジメント」の取り組みについてであった。

 

私たちのクラブでは、下は3歳児から上は億単位の年俸を稼ぐプロアスリートまで、国内そして世界レベルのトップアスリート含め総勢700名ほどをお預かりしている。

 

プロクラブに従事する私たちの仕事の主たる目的は、アスリートの成長支援である。

 

実際、アスリートキャリアの6年、10年、20年・・といった長期にわたり、私たちはアスリートの成長支援者として、彼らと最も近い距離で、長い時間、深く関わる。

 

私たちのクラブでは、お預かりしたアスリートのキャリアを「プロセス」(成長過程)と定め、長期での成長支援を実践している。

 

今大会パリ五輪にも、私たちのクラブから数名のアスリートが出場しているし、各国代表選手としてユーロ(欧州選手権)やワールドカップに出場したり、チームとしてラ・リーガやUEFAチャンピオンズリーグ、同ヨーロッパリーグ、国王杯といったコンペティション(競技会)で、年間スケジュールは飽和状態、アスリートは息つく暇もない。

 

彼らは引退するその日まで、自らを律し、プレッシャーに耐え、目標に向かって前進する日々を過ごし続ける。

 

今回の五輪柔道で話題となったアスリートの大号泣シーンは、入場シーンから、泣きながら会場を後にするまでの約8分半ほどが動画に集約されているが、当然9分弱の動画で彼女のバックグラウンドやコンテクストを知り得ることは難しい。

 

ただそれでも、スポーツパーソン(アスリートや指導者)の成長支援という視点から学び得ることがたくさんあるような気がして、私の脳内のザワザワが止まないので、まだ考察途中ではあるが文字に起こしながら整理してみたい。

 

まず、アスリートのパフォーマンスを低下させる要因として、過度な「ストレス」「プレッシャー」「フラストレーション」などが挙げられる。

 

「ストレス」とは、外的要因によって抑圧され、身体的また精神的に影響を与えるものといえるだろう。こうしたストレスは、プレッシャーといった外的圧力などによって生じる。

 

それでは、「フラストレーション」とはなにか。

 

フラストレーションとは、欲求の充足が内的もしくは外的要因により阻止された状態。つまり、望んでいた状況や願っていたことが叶わない状態。自身の欲求が満たされないことによって起こるネガティブな心の反応を指す。

 

そして人は、こうした欲求の充足が阻止された状態に置かれるとフラストレーションが強まり、内的コンフリクトに対し感情の爆発という形で応じる(リアクション)ことがある。

 

例えばスポーツにおいては、試合に負ける、大会で敗退する、プレーや技で失敗する、もしくは挫折を味わうなどといった内的要因に起因することが多い。

 

アスリートのフラストレーションとそれに対する反応は、試合に負ける場面だけでなく、例えばスタメン落ちした選手が不貞腐れベンチに浅く腰掛け座ったり、途中交代を命じられ監督の労いの握手を振り払ったりといった形で見られることもある。

 

ビジャレアルのように、フットボールの神童たちが全国また世界中から集まるクラブにスカウトされてくる選手は、これまでスタメンを外れたこともなく、常にスター選手として注目を浴び、負けや挫折を知らずここまできた「お殿様」が少なくない。

 

私たちのクラブでは、選手の成長支援を追求する中で、こうしたトップアスリートたちがフラストレーションをセルフマネジメントできるよう学習機会を提供すべく意図的な取り組みを行っている。(詳しくはここでは割愛するが、江戸川大学の講演ではひとつの事例をご紹介した)

 

彼らがこの先、アスリートとしてさらに上を目指し成長していく中で、世界に出れば自分よりも上手い選手や強いチームが存在することや、上にいけば自分の思い通りいかないことが増える現実を知り、そこで表出するフラストレーションを程よくセルフマネジメントできるよう、必要に応じて機会創出している。

 

そもそもフットボールという競技は、スタメン11名を選ぶのも、代表招集やトップチームへの昇格を決めるのも、監督をはじめとする「第三者」に委ねられているので、決して強い者が、必ずしも上手い者が、出場できるわけではない。競技特性といってしまえばそれまでだが、フットボールという競技には「なぜあの選手がスタメンで、自分がベンチなんだ」といった類のフラストレーションが、常に渦巻いている。

 

もちろんこうしたフラストレーションは、アスリートだけでなく指導者も抱える。思い通りにならない試合運びにベンチを蹴り上げたり、ペットボトルを地面に叩きつけたりといったネガティブなリアクションとしてそれらが表出するケースだ。

 

パリ五輪女子柔道の一件に関しては、私が専門外であることや背景を充分理解していないため、深くを語ることは難しい。

 

一方で、コーチに支えられなければ自分で立っていられないほど泣き崩れる姿には、「アスリートの『期待(値)』(expectation)と『現実』のギャップ」について考えずにいられない。

 

本人が自分自身に対して抱いていた期待(望む現実)、周囲からの期待(前評判など)といった「期待値」が、なにかしら関係しているのではないだろうか。

 

単にメダルを逸失した落胆、喪失感、敗北感だけでなく、期待してくれていた人たちに対する申し訳なさなども含め、おそらく予想外だった敗退に、強い感情的なコンフリクトが沸き起こったのだと想像する。


覆せない現実、巻き戻せない時間、取り返しのつかない結果…そうした事実を前に精神的に崩れ落ちたのだろう。

 

さらに、こうした状況に不慣れ(予期せぬ負けなど)だったり、これまであまり感情を表現してこなかったのだとすれば、フラストレーションに対する準備が十分に整っていなかったと想像される。

 

またこれも仮説にすぎないが、純粋にここまで蓄積されていた心身の疲労感から、抑え込んできた感情が一気に解き放たれたとも考えられる。

 

その感情表現が「過剰」かどうかは、本人を知るわけでも、彼女のこれまでの過程を知るわけでもないので何ともいえないが、このような「期待と現実のズレ(差・ギャップ)」に対するネガティブな感情や反応は、ある程度自然といえる。

 

感情表現や表出に対し抑制的な日本の文化や価値観のなかで、悔しさや挫折感を表に出すことが苦手に育った私たちは、こうしたフラストレーションに対するセルフマネジメントのハードルも高い。

 

「フットボール屋」の私からすれば、「大一番」は毎週末やってくるし、カレンダー過多のフットボール界では、下手したら私たちは48~72時間ごとに大事な試合を11か月間に渡り毎年繰り返しているので、大舞台の機会が少ない柔道のような競技で日々努力しているアスリートやコーチの気持ちを100%理解することは難しい。

 

ただ、彼女の中で、あの強烈かつ壮絶な感情放出がトラウマ的な残像として記憶の底に沈殿しないよう、これから専門家を含めた周囲のサポートが必要となるだろう。

 

人は、自分の身に起こった体験に意味付けをする。それがどのような記憶であれ、自分が成長できるよう体験に意味を与えることができる。そうして、時間を経て、それぞれの「ストーリー」は完結するもの。

 

これからの4年間を、彼女がどのように過ごすのか。周囲のサポートやアプローチがどう機能するのか。

 

次の五輪で、彼女はどんなパフォーマンスを見せてくれるだろう。いまから楽しみで仕方がない。