幸せは追い求めるものではなく
ハップンするもの。
いまここにくつろいでいるときに、ハップン(Happen)する、、。
だからHappiness というのはまさに当たっているのですね。
OSHO のJOYという本
(角川書店、山川亜希子&紘矢翻訳)
の中で繰り返し繰り返し、インドで生まれたマスター、オショーが
伝えてくれていること。
インドのリシケシのさらにガンジス河の上流の、、ヒマラヤの麓へ
瞑想の旅へでかけたとき
ある僧が何年も何年もEnlightment (光明を得る)のために、
瞑想し、座ったという
岩の洞窟を訪ねたことがある。
その岩かべには、エンライトした歓喜とともに、書き記した
朱色のオームのマークが残っていた。
誰が彼をエンライトしたと、認めたのだろう?
その基準ってあるの?
彼は自分自身でエンライトしたと自覚し、言い回ったのか?。
そもそもエンライトとはどういうことだろう?
エンライトしたい、光明を得たい、悟りたい、、タイ、タイ、タイ、、、と
追い求めて追い求めて、何年も何年も座り瞑想し続けた彼がたどり着いた光明は、、
必死になって追い求めるのをやめ、
全てを放棄したとき
そこにあったもの。
最初からそこにあったもの。
追いかけているうちは見つけられない。
それこそがエンライトメントだ、、という話をきいた。。
エンライトメントってそういうことか。。。
外に探しているうちはみつけられない、ここにもともとあるものなのね。
本物は偉ぶらないし、認めてもらおうともする必要もない。
幸せを追いかけていないし
何者かになろうと努力もしない。
ただ普通に、そこにいて、
自分自身に100%くつろいで、満ちているだけ。
そう思うとやっぱりイルカはすごいなあ。
ジョイに溢れて
今、この瞬間を楽しんで
生そのものが愛になってる。
海にいるマスター、ドルフィンは
無言で、
エンライトメントを表してくれてるみたいです。
マハロヌイロア❤️

