小説 あの柔らかなレースの中で(5) | すみれ色の日々、ばら色の未来

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Jは韓国を出国する直前まで目まぐるしく仕事をこなしていた。

ドラマやCMの撮影、雑誌の取材、新曲のレコーディング、PVの撮影、日々のSNS投稿、次回作の選定、殺陣や乗馬の訓練、偉い人との会食やパーティーへの出席なんていうものもある。コンサートが始まると世界中をまわるため、常に自制して最高の状態を維持しなくてはいけない。まるで終わりのないトライアスロンだ。


ほとんど見たことも会ったこともない、何人いるかもわからないくらい大勢のファンのために寝る間も惜しんで毎日毎日、私生活をも切り売りしている気分だった。


ファンの人たちには常に感謝している。

その気持ちに偽りはない。

自分をここまで押し上げてくれたからこそ、今の自分があると思っている。

その人たちを心底喜ばせたいといつも願っているのは本当の気持ちだ。


だけど、たった一人の自分に対して、余りにも多くの目が集まりすぎることに違和感を覚えるのも事実だ。すべての人に応えきれない申し訳なさと虚しさもある。


SNSに毎日投稿する写真に、最初はフォロワーが群がるように増えるのが面白くて夢中だったのに、段々巨大化していくことに恐怖さえ感じるようになっていた。写真映えするような瞬間を捏造して、でも止めるに止められない。


同じことをしていても、称賛があるかと思えば批判や攻撃もある。

気持ちはその度に、まるでジェットコースターに乗っているかのように上がったり下がったりする。幸せと不安がいつも背中合わせで、瞬間瞬間にぐらぐらと揺らされて、気持ちが疲れ切っていくのがわかる。


僕が身につけた洋服やアクセサリーが世界中から一瞬で売り切れる。世の中に対して影響力を持ったということかも知れない。けれど僕自身だってそれ以上に影響を受けて振り回されたり、制限を受けたりしているじゃないか。


ホテルにも空港にもお店にだって、いつも裏口から隠れるようにして入るんだ。ファンから逃げて人目を避けることも多い。


事務所や関係者への義務や責任もあるし、自分が思ったことが何でも自由に出来る訳でもないことを痛感している。恩がある以上にプレッシャーもある。


常に誰かに見られていることを前提とした日常という異常事態が延々と続く。

何かをしようと思ったときに、自分の気持ちが結局一番後回しになっていく。

そうして徐々に何がしたいのかわからなくなっていくんだ。


商品となった自分を自分で受け入れるのが次第に苦痛になってきた。

これが本当に欲しかったものなのだろうか。芸能界に入るときに、こんなことを想像したことがあっただろうか。


人生には良いことも悪いこともある。それはわかる。

それでも、今の自分に起こっていることは良いことなのか、そうでないことなのかすら、もうよくわからない。自分で判断する自信が持てないのが苦しい。


仕事をすれば富と名声がついてくる。それも面白いように。

でもその反対に信頼できる人が増えたようにはどうしても思えない。

その証拠に寂しいとすら感じるじゃないか。


スターにはありがちな問題なのだからと割り切ろうとしているのに、満たされない闇が日増しに膨らんでいき、どうにも息が出来なくなった。


見て見ぬ振りをしてきたことが余りにも大きくなり過ぎて、無視できなくなった。


半ば発作的に休むことを決め、降板やキャンセルを頼み込み、一刻も早くこの混乱から抜け出したくて、やっとここまでやってきたのだ。


自分のことを知らない場所ならどこでも良かった。息ができる場所が必要だった。




これはわたし美輝星歌が創作したもので

文章のすべてに著作権を有します。