読み終わりました。
「怒らないこと2」(アルボムッレ・スマナサーラ)
色々おおっと思う箇所があり、メモにとったけど、いま読み返すと色褪せて見える。。笑
本を読んで連想で繋がった内容があるので、書いておきます。
本の中で、「わたし」が大きくなるとお互いギスギスするよね〜というような箇所がありました。
※実際はそんな書き方ではないのですか、すでに返却してしまったので記憶で書いてます。
我々が一貫して存在してると思っている「わたし」は実際はないそうなんです。
そこでたしか「腰が痛い」という文を例にとって、「わたしが腰が痛いと思っている」というように我々は考えるけれども、本当は腰に痛みがあるだけというような説明がありました。
わたしは「頭が痛い」で考えました。
ex. 「頭が痛い😣」
英語:I have a headache.
→直訳だと「わたし」が頭痛を持っているということなので、仏教的には「×」かな?
スペイン語:Me duele la cabeza.
→直訳だと「頭が」わたしに痛くするという意味なので、仏教的には「△」かな?
日本語:頭が痛い。
→「頭が」痛い、ということで「わたし」という概念は介在しない。
もしかしたら日本には昔から仏教があったので、主語がなくても通じる文が多いんでしょうかね??🧐