議論・討論番組が苦手なわたし | Lily 日々思ったこと・影響・記憶など

Lily 日々思ったこと・影響・記憶など

日本人、英語・スペイン語を少し理解。絵描きになりたい。



わたしは政治や話題になっているニュースについて討論する番組が苦手だった。
父が好きでよく観ていたので、わたしも自然と観ていたが苦手だった。

それは、一つのテーマの賛成派・反対派が喧嘩してるように見えたからだ。
意見が対立し合うことは、不穏なことの表れだと思い、わたしの心は暗くなっていた。
内容は興味は持って観ていたし、知的好奇心が刺激される面はあるものの、討論形式じゃなくてもいいのに、とは思っていた。





いまお風呂に入ってて思ったのは、討論の意味は勝ち組・負け組を決めるためではなく、自分が持ってる「これは〇〇なんだ」「この方法が最適なんだ」「みんなはこう言うけど根本原因はこれなんだ」という意見を相手に言ってみて、全く別の意見を聞いて自分の考えのおかしい点を教えてもらったり、相手が支離滅裂なら「やはり自分の意見はある程度よさそうだ」と確かめたりするためなんだなと思いました。

昔から意見の対立はあまり好きではなく、違うと思っても黙ってることが多かった子供時代だったと記憶しています。そのくせ雰囲気を壊す一言は得意でした。(ASDを発揮してた。)
大人になってからは、一時期は自己主張するのがカッコいいと思っていました。そこでわたしは声のボリュームを大きくしてキツめの口調で話せば、相手を圧倒し勝てると思い込んでいました。負け犬の遠吠え。
(言ってることの中身はわたし自身も理解できてない。なぜなら支離滅裂だから。もしくは誰でも「そりゃそうなんだけど、今はその話じゃなくて〜」というような絶対相手が違うと言えない事柄をぶつけていました。)

まだやってるかな、、あの討論番組。