「吐け!吐かぬかっっ!!」
ぴゅっ! どすっ!!
空を切る鋭い音と、何かがぶつかったような鈍い音が 薄暗い部屋の中に交差する。
「……やめろ」
低い声が飛び、身体に与えられていた激痛が止んだ。 久々に酸素を吸った気がした。
吊るされていた縄が下ろされ 冷たくて固い床に身体が打ち付けられる。
「……ぐっ……っう…… 」
「こいつには仲間の居場所から何から白状してもらう必要がある。死なれちゃ困るんだ 」
そういって一瞬その鋭い眼光を向けた後、 拷問を加えていた隊士を連れて牢を出て行く。
部屋に静寂と暗闇が訪れた 。
打たれた箇所は痛いというよりひどく熱い……冷たい床がどこか気持ちいい ……
まもなく自分は死ぬんだろう。この役目を引き受けた時から覚悟していた。今更……死ぬ事など怖くわない……むしろ……このまま仲間に迷惑をかけるくらいなら、死んで本望というもの ……
ただ、無念と後悔は残ってしまった 。
無念は……恩師である梅田雲浜先生の無念を果たしきれなかったことと、自分を庇護してくださった宮様への申し訳なさ ……
―――死ぬな―――
お二人にいただいた言葉、忘れた訳ではありませぬ。この使命を担えた事、誇りに思っております。
後悔は……一度だけでいいから彼女をこの手に抱きしめたいと思ってしまったこと。
届かない愛と知っているのに
抑えきれずに愛し続けた
自分の立場を思えば、 女に現抜かしている場合ではない。むしろ、世迷い事をと……自分を戒める事さえあった。最初は、新撰組への密偵に仕立てあげようと考えていた。あの『鬼の副長』や、その他の幹部等もあの娘にはどこか気を許していた。自分の手元におけば、いい目くらましにも、情報源にもなると近づいた。
……溺れたのは自分だった……
偏見も身分の違いも写さないまっすぐな瞳に捕われたのは自分だった。彼女は、ほんのひととき自分の前に舞い降りた天女そのもの……求婚したものの本当に夫婦になれると思っていなかった。
少し照れながら優しく僕に触れた
木漏れ日に揺れる君は一夏の陽炎
何より……彼女の目を見れば…… 自分を捕らえに来たあの男に惚れている事なんて、すぐにわかった。
沖田、沖田総司といったか ……
人斬り集団壬生狼の中で、ひと際違った雰囲気を持った男。血に飢えるように目をギラギラさえた連中の中で、あの男の目は本当に人を斬った事があるのか疑わしいほど澄んでいた。
実際、近所の子供達と遊んでいた姿もよく目にしたし、島原へ行くも、つまらなさそうに菓子を食べていたと探りの者から聞いた。
だが、小十朗にきくところ、剣に関する腕前は恐ろしく強く天魔と聞いていた。
甘い夢のような君と過ごした日々を
失うことなんてないと思っていたけれど…
「君の瞳に映っているのは僕じゃないんだね」
う つむく君に何も言えなくて
彼女があの男を心底思っていることなど ……見てわからない者なんて愚鈍の極みだろう。
そんな素直な彼女だからこそ……その名前から偽りに満ちたの自分からすると、かけがえなく美しいものに見えた。そして……そんな彼女が俺にまっすぐに向けてくれた優しさに、心がこんなにも締め付けられるなんて……
君が残した温もりが今も胸を締め付ける
もう戻れないとそう言い聞かせて…
目線だけで格子窓を見上げる。空には曇り一つない月が上っていた 。
まるで彼女の瞳のように美しい・・・
(もし、もし……あんさんにもう一度会えるなら……)
その時は一度だけ抱きしめても構わないだろうか……叶わぬ泡沫の夢幻と知っていても、それでも……彼女はほんのひととき自分の前に舞い降りた 天女のようだった ……
その微笑を決して忘れない
声が枯れるまで君の名を叫び続けた…
届かない愛と知っているのに
抑えきれずに愛し続けた
もう一度この場所で出逢えるなら
二度と君を離さないから
イラスト:翡翠様