引き続きGINZA SIXのご紹介。

だいぶ遡りますがイースターに合わせて

開催された親子イベントのリポートです。

 

子どもたちにとってスペシャルな

体験になったに違いない一日をご覧ください。

 

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「体験」について。

子供の頃の体験というのは、

日常的には忘れているもの、

写真が残っているので覚えているもの

(我々プリント写真世代の記憶は、

アルバム次第で大きく左右される)

度々思い出すもの…いろいろだけれど、

よく思い出す記憶にも、

忘れかけている経験にも

それぞれに重要な意味があると思う。

 

私の娘は生後2ヶ月から保育園で過ごした。

最初の保育園は、

0〜3歳までの乳幼児を預かる認証保育園で、

認可保育園に通るまでのつなぎで

通っていた人も多いと思う。

うちも1年後には転園した。

 

この保育園の入園式の日、

主任の先生の挨拶が心に残っている。

「この子達は大きくなったら、

ここで過ごしたことを

全部忘れちゃうと思うけれど、

その中で精一杯愛情をかけて

育てていきたいと思います」

 

実際、1歳2ヶ月までの1年間通った

その保育園のことを、娘は覚えていない。

まだほとんど話もできない頃だったから

認知のためのツールを

あまり持ち合わせていなかった。

だけど、あの保育園での経験は

親にとってだけでなく、娘自身にとっても、

とても重要な意味があったと思う。

誰かに真摯な愛情をかけられて

ただの匿名の「可愛い赤ちゃん」でなく、

一人の一貫した人格として

日々の成長を見守り支えられ、

個性を愛おしいと感じてもらい、

優しい笑顔や子守唄のシャワーを

毎日浴びせてもらった経験は、

物語としての記憶がなくても、

彼女の一部になっていることは間違いない。

 

あるいは私自身の記憶。

どこか旅先で迷子になりかけたときの

心臓が破裂しそうな焦り、

近所の野原で、母の友達のお子さんらしい

初対面の優しいお姉ちゃんとふたりきりにされ

シロツメクサの冠を作ってもらったときの

少し大人になったような

ドキドキしたときめく気持ち。

そんな名もなき経験のひとつひとつが

私の感情のボキャブラリとなって、

心の襞を私だけの形にデザインしてくれた。

 

もちろんその心の襞は

今も、日々刻々と変化していて

経験とも気づかないほどの情報たちが

私を作り続けているけれど、

幼年期のそれは格別なもの。

 

「すごい」体験でなくていい。

柔らかい感触とか、

ワクワクするメロディとか、

信頼できる存在とか、

緊張する瞬間とかが、積み重なって

美しい、かけがえのない形を、

象ってくれるのだと思う。

 

写真は材木座を訪れた、1歳2ヶ月の娘。

この海のことを覚えていなくても、

ちゃんとこの海は

彼女の一部になっている、と思う。