12月4日(月)

朝から虎ノ門ヒルズステーションタワー

TOKYO NODEへ。

12月5日〜2月25日まで開かれる

開館記念第2弾展示、蜷川実花展の

プレスプレビューにお邪魔した。

蜷川さんと宮田裕章さんら、

クリエイティブの方々の記者会見から。

感性の蜷川さんと、

そこにある意味を見出す宮田さん、

そしてそれを形にするおふたり、

というようなチーム編成。

 

宮田さんのお話には

感じるところが大きかった。

パソコンやスマホなどを通して

芸術や情報に触れている現代人は

感覚のほとんどを視覚と聴覚に

頼りすぎている、という。

確かに、味覚・触覚・嗅覚などは

今のところリアルに接したものからしか

ほとんど得ることができない情報だ。

さらにその視覚・聴覚情報さえ

スピーカーを通し、ディスプレイを通した

限定的なものだという。全くだ。

つい先日のクリスマスライブで

生音のふくよかさを

改めて感じたばかりだ。

 

ただでさえそうであるのにさらに

競争の過酷な、離脱の容易な

SNSや配信広告や配信情報で

認知してもらうために

企業の広告やブランドロゴを始め

さまざまな色は単純化され、

色数が減っているのだという。

 

色に限らずテキストでは仕事柄

日々感じていることだ。

多くのウェブ記事では、

アイドマの法則に則った定型的な表現、

ときに煽りを含むシンプルで強い表現、

結論を先に伝え、形容詞を少なくし、

叙情性をできるだけ排除したような

表現が求められる。

それが「儲かる記事」だ、と。

 

音楽だってTikTokで

みんなが覚えやすく踊りやすい

同じようなビートの曲が

求められているんだろう、きっと。

 

別にそれを心地いいと感じることが

悪いことじゃないし、

それが好きな人も、それを作れる人も

それはそれでよいのだけれど。

 

 

それはそれとして。

人が認識できる色は

100万色程あるらしいのだが

現代社会から色がどんどん減っているのだと

宮田さんは言う。

認知できる色だって

どんどん減ってしまうのだろう。

見ていないものは認識できない。

聞いてない音は聞こえない。

 

そんな時代に気づきを与えるような展示だ。

同じ花でも、蕾から咲き開き、

枯れる間に変化し、

同じ日の同じ花でも、

朝露を湛えた輝きの中にあるとき、

夜の闇のなかにあるとき、

木漏れ陽で揺らめくとき、

全て別の色をもつのだ。

 

この会場ではサウンドも部屋ごとに異なり、

香りも仕掛けられ、

自然の光も、観覧者も、

表現の一部になっている。





 

当分は混雑していて

没入できる雰囲気でもないかも知れないが、

会期の中頃にぜひもう一度、

ゆっくり訪れたい。

 

 

先日、通っている朗読教室で先生から

1分間耳を澄ます時間を勧められた。

耳のクリーニングなのだという。

エアコンの音でも、廊下の足音でも、

車のエンジンの音でも、

聞こえる音をていねいに拾う時間。

意識的に「聞く」ことで耳が冴え、

繊細な変化を聞き取れるようになり、

自分もまた繊細な表現が

できるようになるのだという。

 

目も、耳も、舌も、手触りも、心も、

速読や倍速視聴で大量消費するばかりでなく

ていねいにその繊細なものを

聞き分け、見分け、感じる力を

育んでいきたい、と思う。