11月29日(水)

今日は午後から阿佐ヶ谷へ。

知人のSNSにコメントしたところ

遊びに来て、と言ってくださって

ノコノコと事務所にお出かけ。

 

知り合ったのは15年以上前

私が担当していた連載の先生が登壇する

イベントで、紹介していただいて。

そのときもそれ以降も

お仕事をしたわけでもなかったものの

私にとっていつも気になる存在だった。

その後彼女は勤めていた出版社を2社移り、

出版社を起業。彼女から生まれる本は

いつも特別な思いで見ていた。

 

そんな距離感の彼女だったが、

久々に会って話すと全く話が尽きず

気づきや発見が連鎖して数時間喋り倒し。

私と全く思考のタイプの異なる彼女は

私にはくっきりと立体的な人に見える。

意志のある人。

彼女は私のアイデンティティを

突き止めようとしていた。

そう言われてみれば私は

どこまでも媒介であり

反射板なのかもしれない。

 

私の人との関わり方が

驚くほどフラットだとも彼女は言った。

冷たいんじゃなくて平等なんだ、と。

それも私の媒介という職業病かもしれない。

職業病なのか人格なのか、

もう職業と人格が混ざっているけれど。

 

今更転勤族の娘だった頃の話を

引っ張り出すのも言い訳が過ぎるが、

幼い頃、いつも「すでにある社会」の中に

途中から割り込む申し訳なさを感じていて

私が秩序を壊してはいけないという

遠慮のような思いがあったのも

今の私の人との距離に影響していなくはない。

 

そんなわけでいつも私は

私、対、皆さん

という関係で生きてきたように思う。

 

それでよく、身近な人を寂しがらせる。

それは私がその人達を

切望したような態度をとらないからだろう。

そしてえこひいきしないからだろう。

何ならその他の方と平等にするために、

あえてそっけなくしたりしてしまう。

娘の友だちの輪の中にいても

誰の親かわからないような振る舞いをして

よく娘を怒らせている。

娘は特別扱いされたいのだ、私に。

 

 

11月30日(木)

そんな私のフラットぐせを

壊してくれる友人はありがたい。

今日は朝から

「今日午前中時間があったら会いたい!」

と言ってくれる友人がいて、

幸いにもタイミングがあった。

彼女とも喋り倒し、励まし合い。

 

午後からは保護者会で小学校へ。

ここにも私のフラットぐせを

破壊してくれる友人がいる。

娘が小1になった初日の朝、

学童登校途中に知り合ったその人は

いつも気にかけてくれて

地元の情報やら子どもたちのことなど

こまめに知らせてくれるのだ。

子供の頃からこの地に住んでいて

地元のお友達に困っていない人なのに!

とても助かるし、私自身が自分から

そんなふうに距離を詰めるのが苦手だから

貴重な友達だ。

 

アクションを起こさずにいれば

おせっかいだとか思われたりする

リスクも避けられるし、

何も関わらないほうが楽で安全なのに

そんな自己保身をせずに

こうして構ってくれる人がいる。

見習いたいなと思う。

 

そういえば小学校の時、

女子の連れションが謎だった。

トイレに行きたい時は自分で行くだろうし、

行かない時は行きたくない時なのだから

トイレに行きたくない人をトイレに誘うのは

迷惑じゃないかと思うのだ。

用を足したあとも

待っていても待たせていても気になるし

どう考えても一人の方が楽で安全だ。

と私は思っていたのだが、

ほとんどの女子はそうでもなかったようだ。

私はやっぱり、

平等なんじゃなくて冷たいのかもしれない。

 


保護者会では今日学校で起きた

男子同士の喧嘩の話を先生がしていた。

夜、娘にどんな喧嘩だったか尋ねると

「喧嘩したほうが仲良くなれるっていう

伝説があるじゃない?

M君はそれを信じてて喧嘩しちゃったの」

と説明してくれた。伝説か!

娘は優しい。フラットだ。

 

人と仲良くなるのは難しいね。