あっという間に10月も

後半に入ってしまいました!

慌てて、9月末に配信された

ジュリークの季節のコラムをご紹介。

このところ急に冷え込んで来ましたね。

私も今朝ついに、

自分と娘のクローゼットの半袖の服を

全撤収いたしました。季節の変わり目です。

 

そして昨日が新月。

新しいことを始めるのにピッタリの時期です。

秋を迎えて新しい生活習慣に

スイッチするヒントをぜひこちらからどうぞ。

 

 

9月16日(土)

三連休の初日は、地元のお祭り

「桜新町ねぶた祭り」でスタート。

娘のバトンクラブが出場するのだ。

広報担当の私はこうした

地域イベントの進行係でもあるのだが、

新米過ぎてワタワタ。

 

子どもたちは先日発表会で

大舞台を終えたばかりなので

チョチョイのちょいという雰囲気。

 

近所の公園で集合して、

駅前でパフォーマンスをする。

娘の学校や学童のお友達もたくさんいて

発表会やコンテストとは違う新鮮な場に。

なんと松戸に住む私の兄も

サプライズで観に来てくれてびっくり。

 

演技終了後はお祭りを散策。

 

 

今日は新月。月星座の暦によると

9月の新月から一年が始まるらしい。

知人の勧めで今日からスタートする

「月星座手帳」を購入してみた。

月の巡りを意識しながら暮らす提案。

私のビジネス手帳はタスクで埋まっているから

「どうありたいか」「何を目指すか」

「社会と自分」「運命と自分」

みたいな、少し引いた視点を、

この手帳が思い起こさせてくれればと思う。

 

その代わり通常の手帳は

今年の手帳の半分ほどのサイズを選択。

クオバディスの中でいちばん小さなものだ。

時間管理は今年からグーグルカレンダーで

ある程度行うようにシフトしたので、

紙の手帳は

1日の時間配分を考えるツール、という感じ。

私にとって手帳は伴走者、壁打ち相手。

脳みそを「時間」という切り口で

輪切りにしたような存在である。

 

 

9月18日(月/祝)

ねぶた祭りを除いては

比較的のんびり過ごした連休。

私は書棚の大幅な整理を敢行。

これまでお仕事をした雑誌は、

新しい号をいただくタイミングで、前回号を

必要なページだけスクラップして処分する、

というルールにしていたのだが、

年1回か数年に1回しか書かない雑誌も多く、

それらの全ての「自分的最新号」を

保存していると、

本棚のかなりのキャパを占めてしまう。

そしてそれらを見返す機会は稀なのだ。

 

この家に引っ越してきて約2年が経った。

避難用具や喪服などを除き、

この家に来てから使っていないものは

もうほぼ不要なものだ。

また要るかも知れないが、

その時改めて手に入れればいい。

2年間というのはそれを判断する

十分な猶予期間のはずだ。

 

とはいえその全てを手放す訳ではないが、

仕事をした雑誌の記事は

最初に手をつけるに値するだろう。

 

 

来年の学童の申請にもとりかかる。

家から1ブロック先にある民間学童が

来年度から公立学童になるという。

枠は少ないがぜひともそこに移りたい。

というわけで申請書をコツコツと。

自営業者は、

申請月を挟む前後3ヶ月の毎日の仕事の

「何時から何時までどこで何をしたか」

を記入して出さなくてはいけない。

1日の居場所が

4、5箇所になる日も少なくない私は、

米粒に絵を描く職人のように記入する。

個人タクシーの運転手さんだったら

一体どうやって書くのだろう。

まあ、適当に書けばいいのだろうが。

 

 

連休は娘とも多くの時間を過ごした。

夜、何か甘いものが食べたいね、と

一緒にクレームブリュレを作ったり。

 

 

歯磨きタイムに娘が、

この歯磨き粉アメリカっぽいねというので

アメリカの国旗っぽいから?

でもこれだとオランダの国旗だよね。

グラクソ・スミスクラインって

どこの国の会社だろう?

グラクソってドイツっぽくない?

などと話し合う。

グーテンタークのグだからね、と娘。

音楽の授業で、世界の国の挨拶を習ったのだ。

ドイツ語は男っぽくて強いよね、と言う。

私は高校の音楽で第九を習ったので

ダイネツァウヴァーヴィンデンヴィーダー

と歌ってみせたら、その曲知ってると言う。

「アニメとかで

夢とか想像で起きていることが

ホントみたいに思えているときに

流れる曲だよ」という。そうなのか?

それはわからないけれど、

あのオーケストラと合唱の響きに

非現実的な壮大さを感じるのだろう。

 

小さな経験が重なり合って

記憶とイメージを形成している。

人間が育つ様子って本当に美しい。

 

 

布団に入ると読み聞かせの時間。

数ヶ月前から読み聞かせが復活した。

朗読教室で教材として使った

宮沢賢治と小川未明の短編集から

今日娘がピンとくるタイトルを選んで読む。

娘の、というか私も知らない単語もあるし

私も初見で、読みながら理解する作品もある。

そんな中でもスピードや抑揚、間、

いろんなものを使いながら

娘の脳内にちゃんと絵が描けて

スムーズに適切に物語が流れるよう、

私なりに工夫して読むのは非常に勉強になる。

 

娘は毎日飽きずにねだってくれて、

昨日どこまで読んだっけ?と聞くと

「眠い国の王様のおじいさんが旅人に

魔法の粉みたいな土を撒きなさいって

言うところまでだよ」などと言う。

絵本でもなく、字すら追っていないのに。

読んだ私でさえろくに覚えていないのに。

そんな話だっけ?と読み返すと

「昔は私がこの土地を治めていた」

というセリフはあったけれど

今は浮浪者のようなおじいさんで、

王様という言葉は使われていないのだ。

娘はちゃんと聞き取って

「土地を治める人=王様」と理解し、

脳内で王様の姿に変換していたのだ

ということがよく分かる。

子供の耳というのは

こんなに繊細で鮮明なものなのか。

彼女の耳に、

迂闊な言葉を流し込んではいけない、

と改めて思う。

 

 

とにかく。

子供という生き物の生態が

世界最強のアートだと感じる日々。