引き続き今月発売の雑誌のご紹介。

Harper’sBAZAAR11月号。

10って書いてあるけどこれは10月号じゃなくて

10周年記念号です、紛らわしい笑。

 

私はTimelessWOMENという特集で

女優の清原果耶さんにインタビューしました。

本当に素敵な方で。。。というお話は

こちらから記事が読めるのでよろしければ

ぜひお目通しくださいませ★

 

個人的にはこちらの編集者さん、

今回初めてご一緒したのですが、

なんと同郷!!むしろ隣の高校!!

都会の方にとってはそんなこと

珍しくもないかもしれませんが

海を超えて本土に上陸した

我らうどん県民にとっては

同胞に巡り会えることは稀なのです。

雨の日に安くなるビッグサイズの

サンドイッチやさん三びきの子豚とか

ミラーボールの回るお好み焼き屋さん

味楽とか、懐かしい店の話などし

郷愁を味わえたひとときでした。

 

そのせいでちょっとインタビューに

立身出世感が強く出ているかもしれません笑。

 

 

9月11日(月)

朝からニュースでは

殺人事件や強盗事件や物騒な話が飛び交う。

お金持ちや成功者なら

贈収賄だの財産争いだのがあり

美しければストーカーされ、妬まれ、

結婚すれば夫婦や嫁姑、親子間の争いがあり、

アスリートや著名人は

プライバシーが侵害される。

まあその裏返しの

貧しさや孤独や醜さやなんかが

不幸の原因になることだってあるのだが

要するにどっちみちだって話だ。

お金も名誉も結婚も美貌も、その逆も、

それ自体が

幸せや不幸を確定するものではない。

 

幸せになれないのは全部本人のせいだなんて

もちろん思わないが。

 

幸せや不幸の要因に見えるものに

できるだけ引きずられないようにしたい、

と思う。

 

 

そんなことを思いながら、銀座へ。

先日軽井沢の企画でお世話になった方に

茶是に招かれた。

五感を目覚めさせるお茶の会。

軽井沢で紹介させていただいた施設の

原点となる場所だという。期待が高まる。

 

古いビルの、表札のない最上階。

扉を開けると真っ暗な空間。

密やかなアートが並ぶ道を抜けて

その先には、白い空間。

掛け軸も白。花もない。

情報を削ぎ落とすことで、

私達は湯の沸く音、湿度、匂い、舌触り、

温かさ、器の感触、といったものに

とことん集中できる。

 

それはそれは不思議な体験だった。

1杯1杯のお茶が、

カラフルで壮大な映像のように

脳内にビビッドに現れた。トリップした気分。

 

言葉から得られた気づきも多かった。

いつも同じ茶器を使うという先生。

それは茶器が

「本領を発揮するため」だという。

初めての人、初めての場面では

茶器も本領を発揮できないのだ、と。

 

少しスピリチュアルに聞こえるかもしれないが

この感覚はとても良く分かる。


一般的なシーンになぞらえるなら、

例えば冷凍庫から肉や野菜を取り出して

いきなり刻んで

そのまま熱い鍋に放り込んだら、

その食材はいい感じに仕上がるだろうか?

常温に戻して、ゆっくり場に馴染んでから

調理したほうがいいに決まっている。

あるいは洋服も

狭いクローゼットにぎゅうぎゅう

押し込められていたらぐったりするだろう。

 

やはり有機物はみな空気や水をはらんで

膨らんだり縮んだり

乾いたり湿気たりしている、

それを呼吸していると呼ぶなら、

それを生きていると呼んだっていいだろう。

ものを今より少し丁寧に扱うことは

生き物として

正しく扱うことのような気がする。

 

そしてそこには時間が必要だ。

待つ時間が必要だ。

例えばご飯を炊いたあとの「蒸らし」の時間も

お米が本領発揮するための時間だ。

 

私自身にももっと

「蒸らし」の時間が必要だと思う。

効率的であることは、

一見全てをうまくやりこなしているように

見えるかもしれないけれど、

それはあくまで形だけのような気がする。

本領発揮できていない。

命を活かしきれていない。

 

「場」についても考えた。

先程の「本領発揮」のなかには

周囲のものとの「関係性」が重要だと思う。

ものはもの単独で存在したりしない。

色が、周囲の色や光を受けて

同じ色ではあり続けないように、

ものも周囲の影響を受けて

いつも別の存在になるのだと思う。

全てはコラボだ。

 

人間だってそうだ。単独では存在しない。

誰かに対しての私、どこかの中での私、

こうしてここで書いているのも、

きっと読んでくださるであろう

あなたとの、私。


私が扱っている「言葉」もそうだ。

独立した言葉はありえない。

いつ誰がどの場面で誰に向けて使うかで

言葉の意味もどんどん変わっていく。

 

最近、夜寝る前に娘に

銀河鉄道の夜を少しずつ読み聞かせている。

それははるか前に完結した作品に

見えるけれど、物語も生き物だ。

宮沢賢治が、ある時代にこの言葉たちを使い、

それが現代の私のもとに届き、

私の経験を踏まえた表現で音声で娘に伝わり

娘は彼女の経験を踏まえて

その言葉を受け取る。

宮沢賢治と、文字と、私と、音声と、娘と

それに付随するあらゆるものが生み出した、

一回限りのコラボだ。


毎日の全ての出来事は

一回限りの奇跡的なコラボだ。