3月11日(土)

娘、土曜登校の日。

一緒に出かけないのでいつもよりゆったり、

テレビを観ながらスキンケア。

アイクリームを塗っていると娘が

「なんでそんなちょびちょび使ってるの?」

と聞く。これは普通のクリームじゃなくて、

目の周りのシワとかをなくすための

特別なクリームだから、と言うと

「でもママ、シワまだとれてないよ」。

そんな急には取れないよ、毎日コツコツ

やっていくものなの、と返すと

「コツコツって、おばあちゃんになった頃に

シワが取れるの?意味ないじゃん」

なかなか目のつけどころが鋭いぞ。

 

娘が出かけて少ししてから私も学校へ。

学童の保護者会に。教室に着くと、

バトンクラブのママ友が数人いて安心。

少しでも知り合いがいるって頼もしい。

帰り道でも同級生の近所のママに会い、

家に帰ると、今度は同じマンションに住む

小さいお子さんのふたりいるママが

上の子を抱っこし、下の子は泣きながら

フラフラ歩いていたので、

手をつないで一緒に廊下を歩いてあげた。

まだまだコロナ明けで、親しくない人に

子供の手を触られるのは嫌かもと思ったけれど

でも少し仲良くなれてよかった。

 

午後は再び娘と学校へ、PTA主催のお祭りに。

コロナで中止になった夏祭りのリベンジ。

校庭に着き、数人友人を見かけたところで

「もう行っていい?」と言うので、

いいよと言ったけれど

お友達の輪に後から入ることに躊躇して

「やっぱりママと回る」と娘。

所々でお友達が声を掛けてくれるのに、

声を掛けられると却って萎縮するよう。

オフェンスとディフェンスみたいに。

そのうち、攻撃力の弱い友達を見つけて、

ようやく「もうママ帰って」と追い返された。

 

私は同級生ママでトライアスロン時代の友人に

春の運動会以来久々に遭遇。

夜はもちろんバトンクラブで皆さんに会い。

あちらこちらでいろんな人に会って、

街が大きなサロンみたいに感じられた。

 

拡大家族、とは言い過ぎだろうけれど、

ひとり知り合いがいるだけで

心が安らかになる。

街が、利便性とかブランド力だとか、

「住んでみたい街NO1」的な価値でなく、

支え合い守り合える温かい場所だと

感じられるのは希少。

 

私は転勤族の娘で、さしたる故郷もなく

家や街なんてただの現住所だと、

そして名前も、父→前夫→父→現夫と

誰かの苗字を行ったり来たりし

ただの現所属法人名みたいに生きてきた。

だけど、家庭や地域社会というのは

自分がいる責任のある場所だと

最近少しずつ感じられるようになってきた。

 

これもまた、

母になって初めて感じられたこと。

娘が来てくれてよかった。

というか、どうもあの人は、誰かの司令で

私にものすごく必要な(つまり欠けていた)

地球の見え方に気づかしめるために

遣わされた使者、という気がしてならない。

神かご先祖様か潜在意識か、

誰だか知らないけれど。

こうして生きながらえているのも

まだ学ぶべきことがたくさんある証拠。

 

今日は東日本大震災の日。

12年前のあの日、私は子供もいなくて、

前夫ともうまくいっていなくて、

初めてのトライアスロンのために、

プールで泳いでいるところだった。

まるで

ひとりで生きているみたいに生きていた。

 

地域社会の大切さや命の大切さを

私なりの形で感じた一日。