引き続きGINGER器企画。

大好きなスタイリストの中林友紀さんの

私物の器を公開していただきました。

可愛い器ばっかり!!!!!!!!

暮らしを愛し、

暮らしを楽しんでいる人の器ですね。

 

 

6月7日(火)

私には二卵性双生児のような友人がいた。

二卵性。全然似ていない。だけど双子。

お誕生日は1日違いの、ともにふたご座。

 

小学校1年生のときに同じクラスになって

彼女は明るくて華やかな女の子で、

私は地味でおとなしい子だった。

彼女が赤、私が青、という感じ。

 

大きな目で、色白でピンク色の頬で、

美しい香りという字を書く美香ちゃん。

 

美香のママはゴージャスで

美香のパパもハンサムで

後で聞いたことだが、

美香のママとうちの母は13歳も離れていた。

美香のママは、ソバージュの髪のトップを

赤いヘアゴムで束ねて、女の子みたいだった。

 

小1の初めての遠足のとき、

私は母の手作りの

キルティングのリュックサックで、

それを見た美香ちゃんが

「わあ、可愛いね!」と言ったけど

美香のリュックはスヌーピーで

私には絶対手に入らない、

子供にとってはブランド物。

自分のリュックを見てほしくて言ったの?

と思ってしまった私のひもじさったら。

 

美香の家は羽振りが良くて、

リカちゃんハウスもいくつもあって、

遊びに行くと必ず何かおもちゃをくれるので

それが学校で問題になったりもした。

 

明るくて愛想が良くて、

うちの両親も美香のことが大好きだった。

 

美香のクラシックバレエの発表会に

親戚の結婚式のときに母に作ってもらった

白いワンピースを着て行って、楽屋口で、

チュチュを着たお人形のような美香に

花束を渡したことがあった。

 

それでバレエにすっかり憧れて

私も近くの教室に通い始めたけれど、

私の通っている教室はできたばかりで

結局私がいる間に

発表会が開かれることはなかった。

 

とにかくそんな華やかな彼女と

私はなぜかずっと仲が良くて、

小3のときに彼女が市内で引っ越してからも、

その後私が四国に行っても、文通は続き、

高校を卒業して私も彼女も東京に来た。

 

あれから30年、彼女の人生は波乱万丈。

これぞ北海道の女、という感じ。

 

東京の大手ホテルに勤務し、時はバブル。

休日は車のショウルームでコンパニオンなどをし、

10代にして、オートロックの

1LDKのマンションに住んでいた。

誕生日には「美香姫生誕を祝う会」という

クルージングパーティが開かれたりしていた。

家ではバスローブで過ごしていて、

浪人生の私とは雲泥の差だった。

彼女の家に泊まりに行き、宅配のピザをとって

夜遅くまでおしゃべりした。

宅配のピザの配達のお兄ちゃんに

チップ1000円渡したりしていて驚いた。

小学生の時と変わらず、帰るときには

いろんなお土産をもたせてくれた。

 

その後彼女は、いくつかの転職をし

サーファーのボーイフレンドと同棲し、

ランジェリーショップで接客をしたりしていた。

そういえば私がインポートランジェリーに

ハマったのも彼女の影響だ。

 

ある年、昔の男友達と

クリスマスパーティで再会して電撃入籍して

東京を離れ、でもその後離婚して東京に戻り。

ちょうどその頃結婚を控えていた私は、

ほとんどその離婚のお下がり家具で

新生活を始めた。

 

彼女がABCクッキングスクールに

通い詰めていた頃には、

一緒にパン作りをしたこともあった。

いつも新しい恋の話をしていた。

そしていつもとても働き者。

タイ古式マッサージをはじめ

さまざまなセラピストの資格も取得していた。

お金が貯まると家族を東京に招いて

ディズニーランドに連れて行ったりしていた。

とにかくエキサイティングな人生を送っていた。

 

その後大阪で暮らしていた彼女は、

今度はインド人の若い男性と出会い、

結婚して一時はインドに住んでいた。

程なくして北海道に戻り、3人の子を授かった。

彼女も私と同じく高齢出産。

一番下の子はまだ4歳。

セラピストとして働く傍ら副業で

ブランドの購入代行やら

海外から雑貨を仕入れてフリマアプリで売ったり

とにかくできることはなんでもやっていた。

毎年誕生日にはお互いの元気を称え合い、

1、2年に1度は東京でご飯を食べては

彼女の高速人生の話をきいた。

季節ごとに私は

娘のお下がりを末っ子ちゃんに送り、

(末っ子ちゃんは3人兄弟の唯一の女の子だった)

彼女は北海道のじゃがいもを送ってくれた。

 

そんな彼女から

病気の知らせを受けたのは1年半前のこと。

検診で、大腸がんが見つかり、

ステージ4だという。

悪化したり回復したり手術したりを繰り返し、

元気なときにはゴルフに行ったりもしていた。

 

そんな彼女が5月7日の朝、亡くなった。

50歳を迎えるお誕生日のちょうど1ヶ月前に。

一緒に折り返すことなく、

華やかな大きな花は、はらりと散ってしまった。

 

これを読んでいるみんなにとって

知らない女の人の人生だけれど、

きっと誰よりも長く、

彼女の人生を見続けてきたから、

私がここに、記しておこうと思う。

 

私の中では、北海道の女性らしい

彼女のあの、サバサバと明るい笑顔は、

「あの頃、ペニー・レインと」みたいに

永遠にキラキラ輝く映像として、

ともに生きていくんだろう。

 

まぶたに浮かぶ彼女はいつも

バニラみたいな香りで、

バラみたいな笑顔で、

画像処理なんかしなくても

キラキラの粉で縁取られている。

 

二卵性双生児の、片割れ。