現在発売中のMENS CLUBにて

松浦弥太郎さんの考える

「素敵な男になるための心がまえ」

をお聞かせいただきました。

男性のみならず、女性にもとても

参考になるお考えが山盛りです。

 

いつもは25ansの連載でお話を伺ってきましたが

今回はメンズ誌ということで

同性だからこそ伝わるものがあると思い

いつもより少し断定的な、少し強めな表現で

まとめさせていただきました。

メンズクラブ、まさにクラブ内で話すように。

 

今回そのことを意識してみて

改めて感じたのですが、

多分みんな、異性に話す時や

年齢に隔たりのある方と話す時、

そこに、お互いの間の無言の了解がないところを

埋めるように、少し説明的になったり

経験の違いによる誤解が起きないように

思いを少し翻訳して伝えていると思います。

逆にこの思いは簡単には伝わらないだろうな

と思えば、端折ったり茶化したり。

話す声の大きさやスピードも変えているはず。

 ほとんど無意識に。


親子や夫婦や親しい友人同士で時々

小さな諍いが起きるのは、

この翻訳をしなくてもいい、と

過度にリラックスしているからかもしれません。

 

そんな違いもマニアックに楽しんでいただければ

2度美味しいかもしれません(笑)

 

 

3月19日(土)

振替レッスンやら、

保育園と小学校のお稽古過渡期やらで、

「スター並みの忙しさ」の土曜日の娘さん。

午前は体操教室と水泳教室に行き、

午後は英会話のレッスンを2クラス。

新入学を控えての4月病なのか

やる気満々の娘さんは、合間の時間も

ワークブックや宿題を熱心にこなしていた。

 

そんな合間、ふと

「ママは子供の頃何になりたかったの」

と尋ねられた。

最初は教会のオルガンの先生、

その後小学校の先生、

その後建築設計士とサックス奏者、

その後通訳かな。

と答えた母。なんの一貫性もない。

 

本当になりたいものが見つけられなかった私が

コンプレックスの塊だった私が、

そんな自分を肯定するためにトライした

あれやこれやの暗中模索が積み重なって、

今の仕事にたどり着いている。

劣等感と不完全燃焼感は、

常に私のガソリンとして、

私を前に進ませてくれている。

 

運命を感じるような情熱や

願いを叶えている達成感がガソリンだったら

もっと素敵だったのかもしれないけれど

兎にも角にも私の人生には

尽きせぬガソリンがある。ありがたい。

 

 

とにかく。

中学生の頃、建築設計士に憧れていた。

住宅のチラシの間取り図が大好きで。

今も変わらず大好きだけれど。

インテリアの取材の仕事も大好き。

 

幼稚園を3つ、小学校も3つ通った私。

幼い頃から父の突然の転勤で、

学校が変わり、友人が変わり、お稽古が変わり

私の人生はリセットされ続けていた。

今振り返ると「家」が変わったこともまた

大きかったはずだ。

 

会社の借り上げの賃貸住宅を巡り歩いていたから

こちらの意向はほぼ反映されなかったはずだが

どの家も不思議なほど、

私たちのライフスタイルにはまっていた。

母がうまく嵌め込んでいたんだろう。

 

細かい間取りまではっきり記憶がある最初の家は

幼稚園の年長から小4まで住んだ札幌の家。

マンションに連結した、大家さんの家だった。

庭にはブランコと物置、

そして大きなさくらんぼの木があった。

夏にはその木によじのぼり、

さくらんぼを取って食べた。

 

セントラルヒーティングで

リビングに大きなストーブがあり、

それが家中を暖めていた。

サンタクロースが煙突からそこに

降りてきそうなストーブだった。

母は毎日、

玄関が開かなくならないように、

屋根から雪崩が起きないようにと、

スキーウェアを着て雪かきに励んでいた。

 

「札幌の2度泣き」というらしい、と

母は何度も言っていた。

転勤族は札幌に行った時に、

最初は転勤を命ぜられた時に泣き、

住んだのちには、離れ難さに泣くのだという。

母がこの言葉を口にしていた時はきっと

最初の「泣き」の中にいた時だろう。

 

私の部屋は和室で、砂壁のために

ポスターなどを貼ることができなかった。

デスクは窓に向かって置いていて、

そこから広がる景色は野菜畑。

冬は一面の銀世界になった。

 

 

小4で四国・高松に移り住み、

最初に住んだ家は古い平家の家だった。

門から玄関まで石畳の道の両脇に

苔むす岩に鬱蒼と植栽が生い茂り、

夏には母が剪定で難儀していた。

選定中に蛇が出たこともあった。

中庭の池を挟んで離れがあり、

さらに裏庭もあって、

それぞれの庭に桜の木があった。

母は裏庭に洗濯物を干しに行くのに

毛虫に刺されてかぶれたことがあった。

 

私の部屋は離れにあった。

両親の寝室も離れにあったけれど

両親が寝に来るのは遅い時間だったから

私は多くの時間を一人で

その離れで過ごしていた。

勝手口から外に出て、橋を渡り、

ガラガラと戸を開け、ガラガラと閉める。

それは小さな結界となって、

自分の世界と家族の世界を

出入りしていたように思う。

中庭の池を眺めながら

たくさんの時間を過ごした。

 

 

住まいと暮らし手の関係。

持ち家なら如何様にも

アレンジできるのかもしれないが

そういう問題ではなく、

家にも人格というのか、個性があって

無理にこちらに引き寄せるのではなく

その家の持つ個性と、

住む家族の持つ個性を寄せ合って

家庭を作るものだな、と感じる。

 

4ヶ月前に移り住んだこの家も

家と我々がお互いの個性を学びながら

少しずつ歩み寄っていると思う。

 

そう考えると、暮らすことだって十分

「建築設計士」の夢を

果たしているような気もする。