発売中のGINGERからの転載企画、

今日ご紹介するのは、

原宿にお住まいの石山明日香さん

この方も知人の紹介です。

会社に歩いて行けて、

光の入る部屋ということで選んだこの部屋。

横長い部屋の広い窓からたっぷり日差しが入る

ハッピーなお部屋でした。

本棚もクローゼットもテレビもなくって、

あるのはアートとグリーンばかり。

PR職という仕事柄、テレビを持てと

上司の方に言われているそうですが、

「狭くて」と断っているそう!!

 

 

3月20日(金・祝)

長めの、全身をほぐすヨガでスタート。

ギリギリ終わってから娘が起きてきた、セーフ。

 

娘と一緒にテレビを見る。

EテレでSNS英語術という番組に出会い、

ハリウッドニュースと英語学習が

同時に手に入るというお得な番組。

連続録画予約をしてみた。

 

アナ雪Ⅱのイントゥージアンノウンの

作曲家カップルのインタビューもあり、

これが良かった。

やっとできた曲が採用されたかと思ったら

物語が変更になってボツになったり

ということはしょっちゅうだけれど

いちいちそれに落ち込まないことにしている、

だって何より好きなことをしているのだから、と。

「明日も朝起きたらもう一度

 やりたいことができる。それだけです」

この素敵な捉え方。

 

映画音楽といえば25年ほど前、坂本龍一の

「スイートリベンジ」というアルバムの

ツアーを観に行った時。

アルバムタイトルであるその曲は、元々

リトルブッダという映画のために作った曲で、

最初に作った曲が「もっと悲しみが欲しい」

と言われてボツになり、

次に作ったこの曲が「悲しすぎる」

と言われてボツになり、

こんな良い曲作ったのになんだよ!とブチ切れ、

ベルトリッチ監督への「甘い復讐」として

この曲を表舞台に出した、と

話をしていたことを思い出した。

 

 

 

娘は続いて、プリンセスエレナのアニメ観賞。

私はデスクワークをしながら、

横目で見ていて、うっかり感動。

エレナが女王になるべく自分アピールで

躍起になっていることを、諫めてくれる精霊。

「気づかなかったわ。教えてくれてありがとう」

「教えるのは簡単さ、受け入れるのが難しいのさ」

そう。まさにそう。

 

私自身を振り返っても、いつも新しくなりたいと

願っていても、既存の思考を捨てて

新しい思考を取り入れるのは勇気がいるし、

いろんな方に大事なお話を伺って

それを文章で読み手に伝えるとき、

御説ご尤も、正論ですねにならないように、

どう伝えれば良いのか、いつも悩む。

その人自身が大切にしてきた思考を

踏みにじることなく、新しい思考や行動に

耳を傾けてみようと思えるような、

伝え方は、どういうものだろう、と。

 

私は普段できるだけさりげなく、

独り言みたいにそれを伝えたいと思う。

ただの伝聞みたいにそれを伝える。

こうしなさい、こうすべき、絶対やめさない

は反射的に拒絶反応につながることがあるから、

(そういうタイトルの記事や本は多いから、

 もしかしたら多くの人は

 そんなに抵抗がないのかもしれないが)

なんかこんな話聞いたんだよね、

いろいろ見方はあると思うけど、

これもひとつの考えかもね、と。

聞いた人が自分でピックアップして

これ良いじゃんと思った時が

一番良い出会い方なんじゃないかと思う。

知らんけど。

 

 

天気がいいので娘とテラスで

ティーパーティをしたりして

午後は近所のプールへ。結構混んでいた。

帰り道、隣のマンションに住む

同じ保育園のファミリーに遭遇。

そちらは公園で遊んでいたけれど、

公園も保育園の子がたくさんいたという。

みんな行くところがなくて

近所をうろうろしている。

 

 

夜は夫と「インスタント・ファミリー」を観た。

三人兄弟の養子縁組をした夫婦の

実話に基づくドタバタストーリー。

全体的に泣き続けた。

養子じゃなくたって、子育ては、それまでの自分の

価値観、美意識、優先順位、思考回路、時間軸

あらゆるものを

ちゃぶ台返しにぶち壊すパワーがある。

まして、養子。

 

私の友人も数年前、

里親として幼い子を迎え入れた。

実子の育児経験もあり、社会的にも

安定した両親で、人柄もずば抜けている。

半年くらい、講習や面会やお泊まりを繰り返し、

大丈夫、とお墨付きをもらって引き取ったけれど

それでもその子は、母に対して次第に荒れた。

愛されたくて愛されたくて、

徹底的に試そうとしたのだと思う。

日々投げつけられる暴言に耐えられず、

精神の安定が保てなくなり、

夫婦関係もギクシャクし、

実子もその子を「母の敵」と見るようになり、

…結局、別の家庭に引き取られて行ったという。

本当に難しい。

 

私だって、実の母親だったのに(おそらく)、

それでも、こんなのお母さんじゃないと思い、

同時に愛されたくて愛されたくて

あんなにもがき苦しんでいたのだ。

本当のお母さんじゃないとしたら、

どうやって愛を信じたらいいのか、

幼い子にはわからなかったのだろう。

 

わが娘はどう思っているのだろう。

彼女が私に「大好き」と言ってくれる

回数の方が、私が言うよりずっと多い。

先日も夕方ふと

「ママ大好き!今日まだ言ってなかったね!」

と言われた。まるで義務みたいに、

今愛しているだけじゃなくて、

一生懸命愛し続けようとしているみたいに

愛を傾けて伝えてくれる。

あの子は、私の願望の母の

生まれ変わりなんじゃないかと思う。

 

映画を見ながら何度も

娘を抱きしめた。