今日は満月。皆さんは新月や満月の夜にお願い事をしますか?

(添付の写真は10月3日のもので、満月じゃないけど!!)

新月に願い事を書くのが一般的ですが、

満月にお月様に向かってお財布を振ったりする風習?もあるし、

なんにせよ月に1回くらい、

自分が「どうありたいのか」を見つめなおすのは良い機会だと思います。

 

(ところで中秋の名月って必ずしも満月じゃなかったんですね!

新月から十五夜が満月とは限らない、と!

でも私のiPhoneの月の満ち欠けアプリはなぜか、今日を十五夜と言ってる!

まぁどっちでも良いのですが〜。)

 

 

資生堂さんのサイトBeauty&Co.にて、そんな願い事の叶え方について

コメントさせていただきました。

 

最近思うのですが、人の欲には主に「何をしたいか」と「どうありたいか」とがあって、

高校のとき同級生が卒業メッセージ集みたいなやつに

趣味:ダイエットと食べ歩き

と書いていたのですが、ダイエットはきっと「ナイスバディになりたい」というどうありたいか、

食べ歩きは「おいしいものを食べたい」という、何をしたいか、

だったんじゃないかと思うんです。彼女の場合。

(例えばこれが「食博士になりたい!」みたいな人だったら、後者も「どうありたいか」から生まれた欲求だと思いますが)

 

それでいろんな欲に揉まれているときに、

「したい」と「ありたい」がぶつかり合うことはよくあると思うのですが、

「痩せたい」「お金持ちになりたい」「美人になりたい」「賢くなりたい」「仕事で成功したい」とかいろんな「どうありたいか」の欲求と、

「お腹すいた」「眠い」「もう少しこのままでいたい」「夜更かししたい」「甘いもの食べたい」「運動めんどくさい」といった「何をしたいか」の欲求に分けてみると

行動が決まるんじゃないかと思います。

前者の方が、即物的ではないけれどより大きな願いのことの方が多いですよね、きっと。

「痩せたい(けどアイス食べたいな)」

「お金持ちになりたい(けどアイス食べたいな)」は

食べたいを満たそうと思うと「我慢」になっちゃうけど、

痩せたい、とか、お金持ちになりたい、を満たそうと思うと、

「一歩願いに近づいた!」と嬉しくなりませんか?

 

マラソン大会ではいろんなTシャツを着ている人がいますが、

まるで後ろを追う人へのメッセージみたいに、背中に言葉が書かれた

Tシャツを着ている人をよく見かけます。

以前見たTシャツには「走ってる自分、好きか? 頑張ってる自分、好きか?」

と書いてありました。

そう、

走るの辛い。走るのやめたい。という欲に耐えるんじゃなくて、

走っている自分でありたい、頑張っている自分でありたい、という欲を満たすこと。

 

そう考えると私たちはいつだって、

自分の欲のために、自分の欲を満たすために、

わがままに生き続けることができるのです。

「ありたい自分」にフォーカスする。

たまには「したい自分」も泳がしつつ(笑)。