今日も朝4時半から起きて活動していたはずなのですが〜。
掃除、洗濯物畳み、アイロン掛け、スキンケしたらもう娘起きてきて、
朝ごはん作って食べて、風邪気味の娘病院に連れて行って、
処方箋薬局で待っている間にスーパーで買物して
帰ってきたら大方もうこの時間。早いわぁ。
さて、先日ご紹介させていただいた、
コントワー・デ・コトニエのサイトでお受けしたインタビュー。後編
がアップされました。
よかったらお読み下さーい。
このインタビューの最後にお話ししている「口伝の大切さ」は
最近つくづく思います。
聞き手としても書き手としても。
私が職業的に行っているインタビューは、ある種
「口伝を書き文字に移す」という作業だけれど
私がその場で聞いたことを全部書くわけにはいかない。
その時の声のトーン、話すスピード、表情、身振り手振り、
聞き手である私との距離や関係性、
私がそのテーマや関わる人々についてどのくらい知識や共感をもっているか、
そういったことに基づいてのみ話される「言葉」がある。
あるいはその時の空間や時間帯、天候の
心地よさ、プライベート感、高揚感など、
「座の雰囲気」が話させる言葉がある。
それはそこでしか聞けない言葉だし、その中には、
文字にしてはいけない言葉、文字にしても伝わらない言葉がある。
あるいは、「印刷された文字」で読むと
実際に話したことよりも強く聞こえすぎることがある。
誰が読むかわからないという条件に生まれ変わり、
どんな人も誤解なく理解できる内容に限定して表現することになったりする。
何度、どこから読み返されても矛盾のない表現に、
整理し直してから表現することになったりする。
まぁ、これは言い訳かもしれない。私の筆の力の無さに対する。
ものすごく優れた書き手なら、言外の表現を別の形で、
巧みに言葉の森の中に隠すことができるのかもしれない。
画家の描く風のように。
でもとにかく今の私には、それが充分にできない。
またちょっと別の視点の話をすると、先日25ansのマナー連載で
小笠原敬承斎さんがおっしゃったことに、
本来日本語には「言い切らないよさ」がある、というものがありました。
そのお話を伺っていて思ったのですが、
私たちは対面から手紙、手紙からメール、メールからラインメッセージ、というように
思いの伝達方法が変わってきて、その過程で、最近特にメッセージを多く使うようになってから、
「短くて誤解の少ない表現」を選択するようになってきたと思うのです。
ある友人の会社では、コミュニケーションをスピーディにするために
(名前を名乗ったり、お疲れ様ですといった冠言葉を省略したり)
メールよりラインを推奨しているのだそう!
で、例えば人から何か誘いを受けたけれど
もうちょっと優先したい案件が先に入っていて、断りたい時、面と向かってなら
「あぁ〜、その日は…」と言って眉を下げ、手を合わせるだけで伝わるかもしれない。
でもラインメッセージなら「9日(火)は先約ありNGです。ごめんなさい!」
なんて書いてお詫びスタンプを押すのが「正解」かも知れない。
日付の間違いもなく、出欠も明確にわかる。
でもそれでいいんだっけ?
私たちが本当に取りたかったコミュニケーションってそうなんだったっけ?
なんてダラダラ書いていると、ほらね、
書き文字では、長すぎる!(笑)
他にもいっぱいお話ししたいことがあるのですが、
キャンドルの光の下で、グラスでも傾けながら、おしゃべりしたいですね。
口伝、で。
