今日は原爆の日。そしてリオオリンピック開会式の日。

開会式では、難民選手団も形成されていたけれど

各国の入場シーンのテレビアナウンスを通して、

紛争で練習や出場がままならない国や地域が

たくさんあることに改めて気付かされました。

娘の名前はオリンピックに因んで名付けたような部分もあるのですが、

平和と健康の大切さを常に忘れずにいたいと思います。

 

さて、そんな日ですが今日はMarisol9月号の発売日。

 

今月も、いつものBOOK連載を担当しました。

 

今月メインで取り上げたのは、井上荒野の「赤へ」。

死にまつわる10の短編集。

 

この本を選んだ直後に、ひとりの大切な友人の死に直面しました。

とても私的ながら少し彼のことを書かせてもらいました。

なかなか、客観的に書評を書くことができなかった。

 

とても素敵な友人でした。

一緒に合宿に行った時には、手作りの「旅のしおり」を作ってくれて

キャンプファイヤーの歌まで載せてあった。

私の結婚パーティのときには、牧師さん役をしてくれて、

彼と同じハゲ坊主な私の父ともたくさん遊んでくれて、

両親とも一晩で彼の大ファンになっていました。

とても、ムードメイカーで、社交的で、常に人に気を配る人だった。

そして向上心と努力の人で…。

 

 

そして。

7月19日に、実家の愛犬、ラブちゃんがなくなりました。14歳。

定年退職と同時に、田舎に引き込み、

役割と目的を失い、人との交流が格段に減り、体力と時間を持て余した父と、

そんなプチ鬱状態の父の突然の出現で自由を失った母の関係は悪化し、

半ば家庭内別居状態に。

そんな日々が数年続いたのちに現れたのがラブちゃんでした。

ラブのおかげで父は再び役割を得て、愛する喜び、求められる喜びを知り、

父と母はラブを介してコミュニケーションが増え、

毎朝晩の散歩が規則正しい生活と健康な身体を育み、

ラブを連れて小学校の「みどりのおじさん」をすることで

地元の子供達ともたくさんの交流ができた。

あれから14年。

ラブは少しずつ年老いてきてはいたものの、

毎日食事もトイレも散歩もできていて、

その日も朝は父と散歩をし、昼に母と散歩をしたところでした。

帰宅して、急に吐き、そのまま木陰で休んでいて、眠るように死んでいきました。

翌日は、ラブが家にきて14年の記念日で、

お祝いをしようねと両親は話していたところでした。

 

半年前、梨央がこの星に舞い降りたことで、ラブは

「もう私がいなくてもじぃとばぁは寂しくないね」と思ったのかもしれない。

年老いて老老介護になる前にお別れしよう、と思ったのかもしれない。

じぃとばぁも仲良くなったしもう大丈夫、と思ったのかもしれない。

全部勝手な想像だけど、そう思わざるを得ないくらい、

あまりにもあっけなく、かっこ良すぎるお別れでした。

 

「ラブちゃんのお友達です」と毎日やってくる宅急便のおじさんも、

よく遊びに来てくれる近所の小学生の女の子も、

自宅で開いていた母の書道教室の仲間も、

ラブにお別れのお花を届け、涙を流してくれました。

 

私たちはみんな死ぬ。

でも、生きている人の心のなかでは生き続ける。

できれば誰かにとって、私が生きていた意味のある生き方をしたいと思う。

誰かの役に立つ、慰めや癒しでもいい、踏み台でもいい。

 

昨日も、乳児院で4ヶ月の赤ちゃんがうつぶせ寝で窒息死していたという

ニュースが目に飛び込んできた。

娘をお腹に宿してからずっと、命のことを考え続けて、

今日も、娘が無事生きている奇跡に感謝しながら過ごしている。

 

命のことが、今日も頭をぐるぐると巡ります。