少し前になりますけれど、年に1回の高校の同窓会がありました。

私は急な仕事で出席できなかったのだけれど、

今年も1200人を超える大規模な会に。

香川県の高校なのに東京でこれだけ集まるというモンスター同窓会。

が、幹事は大変です。42歳の1年間は幹事か仕事か家庭かの狭間で

その力量を試されます(笑)。

 

参加できなかったけれど、プログラム、と呼ばれる会報誌に

昨年の幹事として寄稿させていただきました。

 

このプログラムがまた!130P!編集長は小・中・高の後輩で

現在某大手出版社の某人気週刊誌の副編集長をやっている2児の母。

が、本業母業の傍らに完成させているのです。

インタビューや取材盛りだくさん、濃厚な一冊。

 

私は学年幹事として約20年やってきて、昨年総会幹事をして…という

経験を書かせていただいたのですが、

頭に浮かんだのはシルヴァスタインの『おおきな木』。

東京玉翠会(←私達の高校の同窓会)って、
「おおきな木」みたいだなぁ、って思ったのです。

 

大きな木、ご存知でしょうか。

これ、むか~しからあって世代問わず誰でも知っていると思ったのに、

原稿を入稿したら、担当編集の子が知らないと言っていたので

慌てて調べたら、日本では1976年に出版、その後絶版になり、

2010年に村上春樹訳で新たに登場。

写真のものも2000年で重版、なので初版ののち永らく絶版になっていたと思われ、

よく読んでいるのは本当に私と近い世代の人だけかもしれない。

村上訳なら手に入るので(多くの人は、そして私も、ほんだ訳のほうが好きだけれど)

未読の方は良かったら読んでみてください。

 

この本はムスメに読もうと思って買ったのだけど、

親になってみると、一人で読んでても泣ける。

という話をしていたら、別の友人も、

息子に読み聞かせながら泣いちゃうと言っていたので、

親はみんな泣くんだろうな!と思います。

「木」の立場に立ったり「ぼうや」の立場に帰ったりしながら。

 

この絵本に出てくる「ぼうや」は最後まで

「木」の気持ちを知ることもなく、感謝も懺悔もしないけれど、

相殺されないのが愛だ。貰った分返したり、与えた分求めたりしない。

 

残念ながら、家族でもない人々は「大きな木」みたいに

ずっとそこにいてはくれなくて、

一度「あの人なんかやだね」と思ったらそれっきり離れてしまって、

誤解を解くチャンスも、成長した自分を見てもらう場面も、

失言を謝る機会も得られないことも多いから、

せめて、だれかに「あの人やだな」と思う瞬間があっても

未来を含む全人格に✕をつけたりはしないようにしよう、とは思っている。

新しい気持ちで相手を受け止められるような自分でいたい、と思う。

大きな木でありたい、と思う。

 

自分の心の状態によっていろんな読み方のできる一冊だと思いますが、

傍らにいつまでも置いておきたい本です。

 

今日でムスメ1/2歳。あっという間。熱心にハイハイのトレーニングをしています。

これから大きくなって、どんどん離れていって、

愛が伝わらない時期がいつか来るかもしれない。

ウザいと思われたり、憎いと思われたりすることがあるかもしれない。

それでもずっと、彼女が自信を失った時に背中を押し、

彼女が疑われた時に信じ、逃げ込みたくなった時に逃げ込める場所、

休みたくなった時に休める場所、泣きたくなった時に泣ける場所でありたい。

 

…親って切ないねぇ。お父さん、お母さん、ありがとう。