そろそろきちんとしたブログを書かなくては(笑)。
トライアスロンのことも書きたいけれど…
タイミング的にホットなお話から。
今日発売のananにて
「いけない恋のメカニズム」のQ&Aにお答えさせていただきました。
「いけない恋」なんていうものが存在するのか?私にはよくわかりません。
何かを好きになるということは、いいことだと思ってきて
本でも、音楽でも、食べ物でも、スポーツでも、同性の女性でも
好きになることはたぶんいいことで、
小さい時から「好き嫌いなく接しなさい」って教えられてきて
「パートナーのいる異性」だけは好きになっちゃいけないなんて。
身長や国籍や収入や出自や学歴や外貌も
「偏見を持ってはいけません」って教えられてきて
「パートナーがいる異性」だけは好きになっちゃいけないなんて。
そもそも普通に人が魅了される可能性のある人で、
人と円満な関係を構築できる人なのだから、
魅力的な人である可能性は高いに決まっているというのに。
というわけで、好きになるなというほうが難しい話なのだろうし、
好きになることはむしろ当然なんじゃないかと、さえ、思っています。
それに、先に出会った人がそんなに偉いの?
一番最初に好きになった人だけが、
その人を好きになる権利があるのでしょうか?
人生は早い者勝ちなのでしょうか?
なんてことも思ってしまったり、さえ、します。
さて、その先。
だからと言って、全然推薦はしないし、
できれば踏み込むべきではないと思っています。
駐車禁止といっしょで、日本の法律で禁止されているのだから、
訴えられれば敗訴する犯罪なのだと思ったほうがいい。
つまりそれは、パートナーの女性を傷つけることに決まっているのだから。
このインタビューのとき、「誠実さ」について考えました。
例えば、その男性が、あなたとの愛にまっすぐに向き合ってくれたとしたら。
あるいはもっと、一緒に駆け落ちをしてくれるとか。
そのとき、その「誠実さ」はあなたに対して向けられたものでしょう。
その人もあなたに夢中だったなら、自分自身に対しても誠実だったと言えるでしょう。
でも、自分がそれまで大切にしてきたパートナーに対しては、誠実ではなかった。
あるいは、彼はパートナーへの愛をあなたに明言していて、
同時にそれでもあなたを大切だと言ったとしたら。
もしくは両者に対して何も明言せずに曖昧な状態を保ち続けているとしたら。
それはきっとパートナーに対してもあなたに対しても誠実ではなく、
彼自身に対してのみ誠実だったと言えるかもしれません。
彼はあなたを愛しているけれど、パートナーのためにその思いを殺しているとしたら
それはパートナーに対してのみ誠実で、自分にもあなたにも不誠実な選択かもしれません。
誠実って何だろう?共存できない二つの関係があったときに、
両者に、そして自分にも、誠実である、ということなんてほぼあり得ないのでしょう。
何かを犠牲にしなくてはいけないし、誰かはきっと傷つく。
そのとき何を選ぶのか。あるいは何も選ばないのか。
今月末発売の「25ans」8月号でも書かせていただきましたが、
7月公開の「水曜日のエミリア」という映画があります。
ナタリーポートマンが主演しています。
この映画は、ある夫婦と子供がいて、ナタリーポートマン扮するエミリアが
その男性に恋をして妊娠し、いわゆる略奪結婚をします。
その過程での、男性・元妻・子供・ヒロイン、それぞれの心の動きが描き出されています。
子供でさえ、新しいお母さんを大切にしたいけれど、
それは自分の本当のママを傷つけることになると葛藤する。
誰かに誠実であることは、誰かを傷つけること。
両者に誠実であるために、自分を傷つけることもある。
人魚姫が、足を手に入れたかったら声を失うと決まっているように、
みんなが幸せになるなんてそう簡単にはできないのです。
優しさとか誠実さとか愛とか。
それはアンビバレントの中にある。誠実は、同時に別の不誠実。
わからない、もしかしたらあるのかもしれない。
特効薬みたいな発想法が。選択肢が。
誰を愛しても、誰も傷つかない方法が。
でも今は私には分からない。
あなたのその思いを、認めてしまうなら、
それを知った上で、覚悟して。
トライアスロンのことも書きたいけれど…
タイミング的にホットなお話から。
今日発売のananにて
「いけない恋のメカニズム」のQ&Aにお答えさせていただきました。
「いけない恋」なんていうものが存在するのか?私にはよくわかりません。
何かを好きになるということは、いいことだと思ってきて
本でも、音楽でも、食べ物でも、スポーツでも、同性の女性でも
好きになることはたぶんいいことで、
小さい時から「好き嫌いなく接しなさい」って教えられてきて
「パートナーのいる異性」だけは好きになっちゃいけないなんて。
身長や国籍や収入や出自や学歴や外貌も
「偏見を持ってはいけません」って教えられてきて
「パートナーがいる異性」だけは好きになっちゃいけないなんて。
そもそも普通に人が魅了される可能性のある人で、
人と円満な関係を構築できる人なのだから、
魅力的な人である可能性は高いに決まっているというのに。
というわけで、好きになるなというほうが難しい話なのだろうし、
好きになることはむしろ当然なんじゃないかと、さえ、思っています。
それに、先に出会った人がそんなに偉いの?
一番最初に好きになった人だけが、
その人を好きになる権利があるのでしょうか?
人生は早い者勝ちなのでしょうか?
なんてことも思ってしまったり、さえ、します。
さて、その先。
だからと言って、全然推薦はしないし、
できれば踏み込むべきではないと思っています。
駐車禁止といっしょで、日本の法律で禁止されているのだから、
訴えられれば敗訴する犯罪なのだと思ったほうがいい。
つまりそれは、パートナーの女性を傷つけることに決まっているのだから。
このインタビューのとき、「誠実さ」について考えました。
例えば、その男性が、あなたとの愛にまっすぐに向き合ってくれたとしたら。
あるいはもっと、一緒に駆け落ちをしてくれるとか。
そのとき、その「誠実さ」はあなたに対して向けられたものでしょう。
その人もあなたに夢中だったなら、自分自身に対しても誠実だったと言えるでしょう。
でも、自分がそれまで大切にしてきたパートナーに対しては、誠実ではなかった。
あるいは、彼はパートナーへの愛をあなたに明言していて、
同時にそれでもあなたを大切だと言ったとしたら。
もしくは両者に対して何も明言せずに曖昧な状態を保ち続けているとしたら。
それはきっとパートナーに対してもあなたに対しても誠実ではなく、
彼自身に対してのみ誠実だったと言えるかもしれません。
彼はあなたを愛しているけれど、パートナーのためにその思いを殺しているとしたら
それはパートナーに対してのみ誠実で、自分にもあなたにも不誠実な選択かもしれません。
誠実って何だろう?共存できない二つの関係があったときに、
両者に、そして自分にも、誠実である、ということなんてほぼあり得ないのでしょう。
何かを犠牲にしなくてはいけないし、誰かはきっと傷つく。
そのとき何を選ぶのか。あるいは何も選ばないのか。
今月末発売の「25ans」8月号でも書かせていただきましたが、
7月公開の「水曜日のエミリア」という映画があります。
ナタリーポートマンが主演しています。
この映画は、ある夫婦と子供がいて、ナタリーポートマン扮するエミリアが
その男性に恋をして妊娠し、いわゆる略奪結婚をします。
その過程での、男性・元妻・子供・ヒロイン、それぞれの心の動きが描き出されています。
子供でさえ、新しいお母さんを大切にしたいけれど、
それは自分の本当のママを傷つけることになると葛藤する。
誰かに誠実であることは、誰かを傷つけること。
両者に誠実であるために、自分を傷つけることもある。
人魚姫が、足を手に入れたかったら声を失うと決まっているように、
みんなが幸せになるなんてそう簡単にはできないのです。
優しさとか誠実さとか愛とか。
それはアンビバレントの中にある。誠実は、同時に別の不誠実。
わからない、もしかしたらあるのかもしれない。
特効薬みたいな発想法が。選択肢が。
誰を愛しても、誰も傷つかない方法が。
でも今は私には分からない。
あなたのその思いを、認めてしまうなら、
それを知った上で、覚悟して。