あの花のいうことなんか、とりあげずに、
することで品定めしなけりゃあ、いけなかったんだ。
ぼくは、あの花のおかげで、いいにおいにつつまれていた。
明るい光のなかにいた。
だから、ぼくは、どんなことになっても、
花から逃げたりしちゃいけなかったんだ。
だけど、ぼくは、あんまり小さかったから、
あの花を愛するってことが、わからなかったんだ
することで品定めしなけりゃあ、いけなかったんだ。
ぼくは、あの花のおかげで、いいにおいにつつまれていた。
明るい光のなかにいた。
だから、ぼくは、どんなことになっても、
花から逃げたりしちゃいけなかったんだ。
だけど、ぼくは、あんまり小さかったから、
あの花を愛するってことが、わからなかったんだ
多くの人にとってそうであるように、
私にとっても、サン・テグジュペリの「星の王子様」は、もっとも大切な本のひとつです。
高校1年のとき、放課後、国語の教師に
「小4の姪に星の王子様を贈ろうと思うのだけど、早いだろうか?」と相談された私は、
星の王子様への思いを便箋に10枚近く書いて、翌朝彼に渡しました。
その手紙は、私がこれまでに書いたなかでも
もっとも熱いラブレターだったのではないかと思います。
この本を久しぶりに手にしたのは、
今さらながら「冬のソナタ」を観始めたから。
中盤、女性主人公はふたりの男性の間で心揺れるのですが、
そのふたりの言動が見事に分かれているのです。
婚約者の男性は、彼女の心情を思い遣らず、
自分の目に映ったもの、聞いた言葉だけで判断して
言葉尻を捕まえては彼女を論破しようとし、
自分がいかに正しく彼女を愛しているのに、不当にも愛されていないのかを訴えます。
一方の「ヨン様」は、彼女が何を言ったか、どんな行動をとったかという
目の前の現象に振り回されずに、「いまどんな気持ちなのか」を思い、
その「心」に添う言動をとります。
ふたりの男性はきっと同じくらい彼女を愛しているのです。
「彼女に愛されたい」、そのためにはどうすればいい?と冷静に考えれば、
とるべき行動は一目瞭然。
それでも人は、言葉という悪魔に振り回されてしまうのです。
言葉というのは強い力をもっています。
ある高級クラブの経営者は、毎日出社するたびに「綺麗になったね」と言うと、
本当にみんな綺麗になっていくと言いました。
反対に、毎朝クラス全員に「死ね」と言われ続ければ、その人は自殺するでしょう。
言葉は、心よりもずっと解りやすくはっきりした形を持っているために、
まるで心よりも真実のように見えてしまうのです。
本人そっくりの仮面をつけて悪事を働く魔女のように。
誰かを愛したとき、私たちの一番の目的は何でしょうか。
決して自分の論理の正当性を押し付けるためでもなければ
相手を罪人のように疑い、追い詰め、縛り付けることでもないはずです。
その人の笑顔を見ること。優しい気持ちに触れること。
一番近くで声を聴いていること。
二人で過ごす時間が幸せだと思い、思われること。
もっといっしょにいたい、また会いたいと感じてもらうこと。
そのためにすべきことは何でしょうか。
言うべきことは何でしょうか。
王子さまが、仲良くなったキツネと別れるとき、キツネは言いました。
さっきの秘密をいおうかね。なに、なんでもないことだよ。
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ
心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。
かんじんなことは、目に見えないんだよ