自分だけの悩み
病院を何度も変わり、基礎体温をつけ、排卵誘発剤を飲み
しながら、私は本当は子どもはほしくなかった
きらいだったのだ。
ダンナの姪や甥も、一度も可愛いと思ったことがない。
ただ、うるさい、面倒な存在だった
自分がそういうもののために、自分の時間をさき
全部の神経をそそぐことなど、本当はいやだった。
だったら、なんで、不妊治療に通うのか
答えはわからない。たぶん、もう、とがめられないために
かもしれなかった。
「お子さんはまだ?」と聞かれたときに
「はい。病院に通ってるんですけどできなくて」というと
人は同情し、それ以上何も言わなくなる
ダンナは、一度もそういう言葉から私をかばうことはなかった
子どもが大好きで、甥や姪と毎日遊んで、毎日車に乗せて
配達に行き、「子ども好きな人やのに・・はやく産んであげたら」
と近所の人にいつも、言われた
「本当に子どもがほしいのか?」「なんのために子どもがほしいのか?」
わたしたちは、このときに、きちんと話し合うべきだったかもしれない
フィンレージの会という、不妊の女性の会に入ったのは
この頃だった。
自分の想いや、病院でのつらい体験などを話し合う会報でつながる
会だった。
広島の駅前の婦人科だと長い予約待ちなしで、
即、人工授精してくれますとかいう情報と、自分の想いや
病院での、いやな体験をつづるコーナーがあった
ここで、知り合った友人は、いつのまにか、連絡なく
静かに消えてゆく。
妊娠に成功した人は、ほかの人の気持ちを慮って黙って連絡を絶つ
それが、ここでの暗黙のルールだった。
つかの間であろうと、おなじ辛い体験をわかちあえる仲間がいるというだけで
どんなに、心強いだろう。
この頃の「不妊」という期間も、わたしはその悩みを夫婦でわかつことなく
なぜか、全部「自分だけの悩み」になってしまっていた
現在の「障害児の親」を自分だけがやっているのと、全くおなじに・・