自分さえ我慢したら、誰かが幸せになるなんて本気で思ってる? | 本音で生きる人生の愉しみ方~ライフナビゲーション

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【大人のギャザリング】美術館でのガイド付きの観賞ツアーやアートトリップ・起業を目指す人のお金の知識講座・アラフィフ向けの起業スタートアップ講座・枠を外して本音で生きる為の個人セッションをしてます。『明日で命が終わるとしても後悔しない人生を!』

昔、一人息子がまだ小さかったころ
保育園に息子を預けながら、雑誌を扱う出版社で経理の仕事をし
休日は地域の活動も手伝い
保育園でも役員をしたりしながらバタバタと忙しく日常を過ごしていた。

小学校に上がってからは、サッカーをやり始め
今度はそのクラブチームの代表仕事を引き受けることになり
学校やコーチ陣、全学年の保護者との調整ごと
サッカー連盟との連絡など、本当に週末だけに限らず
平日の通勤時間の合間を縫って仕事をしていた。

それこそ寝る間もあまりなく
休日はサッカークラブの活動にほぼ費やし
自分が行きたい美術展や映画など
行ける時間は殆ど無かった。

家の中のことも
ダンナに文句を云われないように
なるべく早手回しですべてをこなし
たまに、ママ友達や昔の友人などと飲みに行く時には
それこそ、”立つ鳥 後を濁さず”のように準備して出かけ
遅く帰宅してからの文句に対しては”ぐっと”我慢してた。

手伝って
というひとことも云えず
疲れたなあ
の弱音も吐けず

良くできた妻
優しい嫁
元気なママ

であるべきだ
そうできる、と信じて動き回ってた。

自分がいろんなことを飲み込んで
物分りのいい人間でいれば
世界はうまく廻るのだろうと信じていた


はずだった


でも
そうすればするほど
周りは”もっとやって””もっとできる”
といろんなことを更に頼んでくる

そのうち
どこかできしみが出始めた


そして
ある日、私の身体は癌に侵されているのが解った


なぜ私なの?
と思うのと同時に
いろんな思いが溢れてきた

恨み、つらみ、悲しさ、苦しさ
誰かに対して、何かに対して
噴き出し、溢れ、止まらなくなった

1年間に渡る術前治療ののちに
手術をし、女性としての大切な
身体の一部が失われた時
私は『自分の身体に対して取り返しのつかないことをしてしまった』
と思った。

抜け落ちた髪
抜け落ちたまつ毛
抜け落ちた眉毛
失った片方の乳房

それらは私の”心”に絶望を一度は運んだけれど

でも
長い長い年月を経て
たくさんの心の内側を観る機会もくれたと思う


私は今、元気に仕事をし
家庭も守り
地域の活動もし
高校生になった息子と共に映画もたまに観に行く
一時は離婚を考えたダンナとも
紆余曲折あったけれどお互いに一緒に暮らすことで
落ち着いている

踏みとどまったことがよかったのか
そうじゃない方が良かったのか
なんて、今はあまり問題じゃない

大切なのは

今、自分は自分を大事にしている
ということ


自分を犠牲にして
”誰かのために”
”何かのために”

なんて
それは”自己犠牲”をする自分に酔ってるのと同じ

自分が幸せを感じずにいるのに
誰も幸せになんてならないし・・・

そこを勘違いしてはならないと思う

自分を大事にするって
みんなもう一度、よく考えてみた方がいい。


自分の代わりって
自分以外にだれか・・・いるの?

稲垣佳美さんのこの記事を読んで
そんなことをふと考えた、土曜日の夜

【コラム再アップ】犠牲の上に成り立つものは誰も喜ばない