キルスティン・ダンスト主演の完全・ガールズムービー、
「バチェロレッテ あの子が結婚するなんて!」を視聴しました。
前回に引き続き、今回も「友人の結婚式前夜にドタバタ喜劇→結局丸く収まる」系の映画でございます。
「バチェロレッテ・パーティ」という、女性版の「バッチェラー・パーティ」なるものがアメリカにはあるらしく、
映画はほぼ結婚式前夜のトラブルを追って終わります。
また今回も・・・といいましょうか、やはりちょっと下品で何とも言えない気分になりました。もう、何故なんでしょう。アメリカ人の方は大概こういった内容を求めているのでしょうか・・・?
※ここからネタバレ注意
ストーリーは、高校時代イケてるグループに属していた3人組の美人(それぞれ行動や性格に難アリ)が、同じ高校内で一番イケてない太めのベッキーという女性に結婚を越され面白くない思いをする、というところから始まり、
酔って新婦のドレスを破いて、コカインを吸ってバチェロレッテ・パーティを台無しにし、ドレスの修復しなきゃいけないのにストリップクラブ行ったり男とヤったりと「痩せてるからってお前らが結婚できるわけないだろ」という描写が延々と続きます。
いつもは可愛いキルスティン・ダンストがなんと嫌な女に見えたこと・・・知性を鼻にかけ、同じグループなはずのヤリマン女子をさりげなく見下したり他人の過去の傷をえぐってみたりと全く感情移入できませんでした。
確かに三人とも凄い美人なのですが、コカインを吸ってみたり、誰とでもヤって全然可愛くないおバカキャラを貫いていたりと、とにかく破天荒な行動が全然面白くなくただ無性にイラっとしました。
おバカキャラが嫌いなのでは決してありません。映画「mean girls」のアマンダ・セイフライド演じるカレンはとってもチャーミングで「こんなおバカなら私もなりたい」と思えました。彼女が高校生だったからそのおバカっぷりが痛くなかったのでしょうか。
ちなみに私は昔、当時人気のおばかタレントスザンヌさんを見ていて、「アホは神の望み」 という本まで購入し「どのようなおバカ女性が世の中から求められているか」を自分なりに考察した経験もあるので、むしろおバカキャラの女性が好きで憧れてすらいるのです。
そんな私ですら嫌悪感を感じる「おバカ」演技でした。男性陣の目か見てどう映るかはわかりません。
しかしながら、監督・脚本のレスリー女史のPRODUCTION NOTEにはふと感じ入るコメントがありましたのでご紹介いたします。
前半はちょっと翻訳の意味がわかりませんが、後半の
「今の自分に満足しているのに、いつもそれ以上のものを求めている」
という一文、モモスム的に変換すると
「今の自分でも十分幸せなのに、常にそれ以上のものを求めている、いや、求めさせられている by メディアや他人の身勝手な意見によって・・・」
と、なります。
この映画の主人公だって、美人で優秀で彼氏がいるんだから、都会生活エンジョイしてるんだから、別に結婚して子供産んでスーパーに通う毎日をわざわざ選ばなくたっていいじゃん・・・ってね。だって上昇婚じゃない限り結婚したら生活レベルは下がるだけなのに・・・。自分でバリバリ稼げるなら孤独死なんて怖がらないで将来に向けてうんとたくさん友達つくればいいんです。
別にプロポーズされたからってその女性が「偉い」わけでも「勝ち」なわけでもない、ただ「プロポーズされたってだけ」な事が妙齢過ぎても分からない。
今まで「美人で細い」事がイケてるって皆がいうから何となくその価値観に従って食べたいものも我慢して生きてきたのに、自分が思う「イケてる常識」と外れたところに位置する女性が自分も喉から手が出るほど欲しい一般的な「幸せ風な出来事」に見舞われたからって・・・自分の存在を否定された気になって悔しがって。
そんなんじゃダメ、もっと本気で
「何が自分にとって幸せか」を考えないと・・・!!
と、映画なのに本気で憤ってしまいました。
「アラサー世代の結婚」縛りで映画を借りているのにハズレ続きで、悔しいので本日もう一つ最新作を借りてきました。今度は、500日のサマーのスタッフが制作担当なので期待できそうかも・・・?
そんなことより「女子の生き様」についての衝撃的な一冊を発見、読了したので直ちにそちらの書評に移りたいと思います・・・!