無駄が大事!という話から考えたこと | “変わりもん“がいいじゃない!!

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人間も動物やん!って気づき、人と動植物が共に生きる”いきとも®︎”を当たり前にしたい!!と考える、人を元気にする獣医師のかおりんです。そんな思いをYouTubeでも配信中。人を元気にする獣医師かおりん 又は「いきとも」で検索してみて下さいね!

本日、

ある方と話していて

奥の深い話になった。

 

 

もともと、

近江商人の3方よしの話から

地域性と人間性と

刷り込みについて話していた。

この話も

かなり面白かったのだが・・・

そこから

昔ながらの伝統工芸や調度品などを

扱う京都や石川などのお国柄の人は

「無駄が大事」

ということを言うという話になった。

 

 

ふと、

大学の学園祭に

当時F1の解説をされていた

古舘伊知郎氏が講演会をされた時も

そのようなことを言われていたなと

思い出す・・・

 

ただ、話の流れが違ったので

そのことは話さなかったが・・・

 

古舘氏は

当時「楢山節考」の映画が流行っていて

本当は、

生活が苦しくてお母さんを捨てに行くという話が

最後のエンドロールから巻き返すと

おばあさんを拾った話になるといわれ、

物事を反対から見てみることが大事

ということを話されていたように思う。

 

その時にも

人生には無駄はない❣

無駄が大事なんだ・・・

という話を

されていたのを思い出した。

 

 

話が逸れたので、戻そう・・・

 

私が話したのは、

私は、長年お花を生けてきた。

最初は恩師に学びながら、

お花屋さんが廃業されて、

いろいろとあって

今は、

自分の家の庭のお花を生けている。

 

 

そうなってみて分かったことだけれど・・

という前置きをして、

その「無駄が大事!」というのが

わかる気がするという話をした。

 

自然の中のお花は、

買ったお花のように行儀よく真っすぐではない。

以前はそれをあたりまえのように

生けていたので何も感じなかったが・・・

 

お花を作っている農家さんの

多大なる努力で真っすぐの枝になっている。

 

 

家の庭のお花はそうはいかない・・・

でもそれを生け続けて来てわかったことは、

それが面白いのだし、それが自然だということ。

 

でも、きっと

20年お花を習って来たからこそ、

今、自然のお花を

自由にのびのびと

生けられるのだと思うようになった。

 

今だからこそ、わかること・・・。

 

少林寺拳法の道場にお花を飾らせてもらう時、

立ち止まってみて下さる人

素通りする人

と様々だと所有者の方に言われた。

 

以前の私なら・・・

そんなことを言われようものなら・・

どうしようと思っていただろう(笑)

 

それ以前に、

そのようなところに

お花を生けようとすることもなかったかもしれない。

 

私はすごいお花を生けられるわけではない。

でも、

お花が好きで、

自然が好きで、

いつの頃からか?!

その時に感じたものを

自分が表現できたらいいと思うようになった。

 

 

 

私は

お花を生ける時に

そのお花を活かそうと自分なりに向き合って

出来上がった作品・・・

その時は私にとってそれがベストだった。

 

それを

見る側が私と同じように感じて下さったり

私以上の感性を持ち合わせて下さって見て下さったり

違う見方をされたり・・

それは、

見る方の感性に委ねられることで

作品を作った私には関係がないこと。

 

 

それを、

こう見て頂けたら嬉しいという思いはこめているけれど

その通りに見るか見ないかは見る側の勝手なのだ。

 

それが良いのだし、

それで良いのだ。

 

それが

「自由」ということ。

 

そこは強要するものではなく、

そこの違いを

「なぜ?!そう思う」

というのを話し合って

すり合わせたり、

平行線であったり、

違いを楽しんだりするのが

本当の「教養」といわれるものであり

人間のもつ「品格」なのだと思う。

 

それが

突き詰めていくと

「無駄」なのだと思う。

 

無駄は

効率的でないので

今の時代でいうと

本来なくても良いのだろう。

 

 

しかし、

その空間に込められた

作者の想いであったりが存在する。

 

それを無駄という時代は、

人間が面白くなくなってきているとしか思えない・・・。

 

みんな違ってみんないい❣

 

 

無駄があるというのは

心の余裕があるということ。

 

 

そんなことを感じた。

 

いきとも🄬~ともに生きる~

は、無駄があってもいいと思うし

みんな違ってみんないい❣ 

なのだ。