秋田に帰ってきた私は就職活動をした。しかしなかなかない。そんな時、父親が「俺の事務所に来い」と言った。月に10万円くれると言う。嫌だった。なぜなら同じ性格で気が合わないからである。
いまなら楽にこなせるであろう、事務の職&測量も毎日苦痛で仕方なかった。そんな時、彼と子供を作ればいいんでないかと思った。そうしたら逃げられる。しかし、世の中はうまくいかない。なんと、ある士業の人が言い寄ってきたのである。どうしよう、下手に断れないし・・・そうして7ヶ月が過ぎた。
体に異変が感じたのは平成5年6月ころであった。生理がこなかった。いつも遅れるので気にも留めなかった私だが、60日以上も来なかった。おかしいなと思った。そしてある夜、ご飯を見ただけで吐き気がした。母親は感づいたらしい。「すぐ救急外来へ行こう」と言った。
病院に行くと、専門医がいなかった。いきさつを説明したら、先生は四角いプラスチックのものを取り出して、「これにおしっこをかけてください」と言う。私はおしっこをかけて、先生のところに持っていった。
「陽性ですね、おめでとうございます。妊娠してます。詳しい検査をしますので2階に上がって待っててください」と言ってくれた。
私は嬉しかった。子供ができにくい体だと言われていたことがあったので、小さな命が育まれているということが。ところが、看護士が「この人未婚なんですよ」と言う。
2階に上がりながら、私の母と話をする。看護士は「未婚なのに、生んだら大変だ」とか「結婚するの?まだ20歳でしょ?」と子供を堕胎しろと言わんばかり。私は「一人でも生みます」と言った。母はまだびっくりしていて、看護士の話を聞いていて、やはり堕胎したほうがいいのではとどっちつかずだった。私は生理が遅れていた時点で覚悟を決めていた。やがて30分ほどで専門医が来てくれた。中に入って超音波の検査をした。あと内診もした。「今6週目に差し掛かっています。来年の3月9日当たりに生まれるでしょう」と言った。私は豆粒のような赤ちゃんの姿を見た。どんな顔なんだろう、早く見てみたい衝動に駆られた。これからどうなるか分からずに。
診察が終わった後、私は彼に電話をかけた。「いくらかかるの」と言われた。やはり一人で生んだほうがいいようだと思った。「また後で電話するから」と言うと電話を切った。まだ見ぬ赤ちゃんのほうが大事である。
家に帰ると、父に母が興奮して話をしていた。父は「そうか・・・」と言うと黙った。怒りもしなかった。「結婚しろ」と父が言った。私は「一人で生みたい」と言ったが、父は「そんなことできるわけないだろ」と言った。
父はとりあえずなんか食べろと言う。やはりご飯はだめだった。
次の日の夜、彼が家にやってきて、何も言わずに土下座をした。父は頭を上げるように言った。そうして家の中にあげて、「どうするんだ」と彼に聞いた。彼は黙っている。とりあえず話し合いをすることと言うことで彼を帰した。
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