発症してから闘病中の想い、ポンタや家族のことも書いていきたいと思います😊


当時のことを振り返ると、なんとかならなかったのかと後悔や、なんで息子がえーんっていう切なさや、あたりどころのない怒りでいっぱいだったなって思います。


入院中、コロナのせいで面会禁止❗️


ポンタに会えない日々が続く中で、

『なんで、ポンタがえーん一生懸命なポンタが汗

って、長男や三男の前でそうボヤくことが多くなりました。


ある日、

『僕がなればよかったな。なんの取り柄もないし。ポンタみたいにやりたいことも特にないし。』


なんて、長男がボソッと言ったのです。

驚きました‼️

そんなこと思ってたんだねえーん

誰がなってもダメ🙅‍♀️


ポンタが倒れた時、そばにいて、私に連絡→救急車を呼ぶ→祖父母に連絡、どんどん動かなくなるポンタを励まして…1人で怖かったよね💦


私が当時そばにいたら、もうパニックになって泣き叫んでるだけだと思います。


優しい長男。

ポンタのそばにいてくれてありがとう✨


実は、ポンタが倒れる1週間前に、『腰が痛い‼️』ってうったえていました。


その日は…湿布を貼って様子を見た


​次の日…まだ痛む為、部活を休む

休日で病院がお休みの為自宅で様子を見た。


​3日目…整形外科へ【分離症】

大きな病院でMRIを撮るように言われた。

そのまま、MRIの撮れる病院へ行き予約のみした。

→とりあえず、運動禁止、通学自転車🚲OK。

最寄りの駅まで車で送迎はしてたものの、学校までは遠く、当時私は仕事をしていたので頑張って自転車で通ってもらいました。

腰痛は変わらずあるけど、通える程度。


今でも、この時毎日学校に車で送迎してあげればよかったと後悔していますえーん


​脊髄梗塞発症前日はMRI検査

MRIを撮る日、北海道に出発した私たちは、ポンタを祖父母お願いしていました。

撮影中、爆睡していたらしいです😅

この日は休日で先生がいないので、平日に結果を聞きにくるように言われ、夕飯は祖父母にご馳走になり帰宅。


​脊髄梗塞梗塞発症日

    『脊髄梗塞になった日』ポンタは私の次男坊です。当時16歳の高校1年生。発病した日の朝は、私とパパと三男坊はバスケ🏀の関係で北海道にいて、ポンタは前日から長男と2人でお留守番をして…リンクameblo.jp


と、このような経緯がありましたえーんえーんえーん


今は、家族みんなで生きていることに感謝して、前向きに暮らしています虹


お庭の植物🍓赤くなるのが楽しみです✨