忘れられないエコー写真 | 揺れる日々〜43歳 そううつと不妊治療Diary〜

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2019年に再婚(事実婚) 2020年に不妊治療開始
今年に入って体外受精を3回しました
AMH 1.19
冬になると冬眠しがちな季節うつ系の双極性障害2型です
人生、ゆっくり歩み直してきました

漫画のコウノドリ、楽しみにしてちょこちょこ読んでます。

 

 

※23巻のネタバレあります。中絶の話です。自分の心は自分で守ってください。

 

 

 

 

 

 

 

23巻に、NIPTと羊水検査を受けて胎児がダウン症だとわかった女性が、中絶する話が出てきます。

 

始終暗い決意を固めているように見える女性が、むかし自分が中絶したときに重なって、自分もあんな表情だったかなぁと、思い出しました。

 

 

わたしが中絶したのは学生時代、当時付き合っており、のちに結婚した元夫との間の子どもでした。

 

 

当時、わたしには夢があって、中絶するかどうかは、あまり悩まなかった記憶があります。

 

 

 

いろいろ病院を調べて、女性医師のいるところを選びました。

 

はい。

 

 

○○レディース・クリニックを。。

 

 

この大間違いを、恐ろしいことに、最近わたしは気がついたのですが、このブログジャンルにおられる方は、おわかりでしょう。

 

 

 

その病院は、不妊治療をやっているところでした。

 

 

 

最近思い出して調べたら、不妊治療専門ではなかったのですが、わたしは女性医師+母体保護法指定医資格ということでしか検索していなかったので、そこそこ大きなサイズでホームページに記載されていた「不妊治療」の文字が、目に入らなかったんでしょうね。

 

 

もう女性の医師になんと言われたのかは覚えておらず、説教されたりはなかったのですが、彼女の怒りだけははっきりと伝わってきました。

 

 

内診のとき、看護師さんが、わたしの青ざめた足を優しく撫ぜて、「あら、寒かったわね」と声をかけてくれたのを覚えています。

 

そのとき初めて、自分が震えていたのに気がつきました。

 

 

診察室に戻って、医師が、「出産予定日は、○月○日です」と吐き捨てるように言いました。

 

 

わたしは、中絶するつもりだと告げました。

 

 

 

5週で診断を受けて、中絶したのは8週でした。

 

 

胎芽から胎児と呼ばれるようになる時期です。

 

 

まだ、人間じゃないよね、って自分に言い聞かせていた。

 

 

 

でも、わたしが中絶して、数ヶ月もたたないうちに、友人が妊娠したよとわたしに告げました。

学生結婚をして産むという決意と、8週のエコー写真とともに。

 

 

なんの心の準備もなく、エコー写真をみてしまって、もう小さな人の形をしているように見えるそれは、わたしに脳裏に焼きついてしまった。

 

わたしにエコー写真はなかったから、まるでそれが自分のおろした胎児のように思えた。


 

脳のところが黒く写っている胎児を「わたしと○○の子だからさー、頭空っぽかもー」とジョークを言いながら、しあわせそうな友人の声を聞きながら、心の底から見たくなかった、と思っていた。

 

 

友人は、わたしが中絶したのを知らなかったので、責める気持ちはないのですが。。

 

 

 

そんなわけで、長い間、テレビやなんかで不意に現れる胎児画像を、見ないように避けてきました。

 

 

いまふりかえると、当時の自分の無責任さはもちろんなのですが、元夫に、お前どうなのよ、と問い詰めたいですね。

 

 

しかしそれは、また別のお話。