なんだかなー | 奮闘日記

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元JW2世の人生



エホバの証人の過去を消したい、忘れたいとずっと思ってきました。いつか幸せになったら実現するのかなと思ったり、過去の苦しみと向き合って癒えたら、なんとも思わなくなるのかなと思ったり。

でも最近は、過去が消える事はないし、忘れる事はできないと自覚できるようになってきました。過去に自分なりに折り合いをつけて、人に躊躇なく『実はJWの家で育ったんだよね』なんて言えるようになれば、その時には過去を消したいなんて気持ちは薄らいでいるのかな、なんて漠然と感じています。

わたしは小さい頃からエホバの証人であることを隠してきました。と言っても、小中学生の頃は周りはみんな知っていたわけですが(笑)。それでもエホバのエの字も口から出さなかったし、実際は宗教一色の毎日だったけど、そんな素振りを見せないように振る舞っていました。

高校は、同じ中学からは2人位しかいなかったので、全力で世の子を演じました。エホバ?なにそれ?みたいな・・・(笑)

とにかくエホバの証人であることを知られたくなかったんです。わたしには何一つ魅力がある宗教ではなかったんですよね。楽園にも行きたいと思わなかったし、ハルマゲドンで滅ぼされる事に恐怖を感じない。辛くても祈れと言われ、頑張っても神が力を貸してくれたと言われ、疑問を持てば神に疑念を抱くのかと言われ、何でもかんでもエホバエホバって。

わたしに少しでも神を信じる心があれば、きっとエホバの証人である事を自分の中で肯定できたかもしれませんが、わたしはそうではありませんでした。

だから、イジメられたりからかわれたりする時、エホバだからと察してくれるだけでも、当時のわたしの感情は、恥ずかしいというよりは屈辱というほうがしっくりくる表現です。

高校の時友達の家に遊びに行って、その家のお母様が、用事で車出すからついでに家に送ってあげるよと言ってくれて、お言葉に甘えることになりました。車に乗って走り出したら直ぐ、エホバの証人が奉仕(伝道)していたんです。それを見た運転中のお母様が、『うわーエホバだわ!やだねー、あと一歩遅く出てたら危ないところだったわー。ほんとやだねー』って、とにかく「やだねー」連発。その時はもう本当に、自分がエホバの証人であるという事実を呪いました。

実際、奉仕で家の人がやんわり断ってくれると心底ホッとしていたし、大人の対応ありがとうございますって思っていましたが、きっとそんな人達もエホバの証人を見かけたら、友達のお母様みたいな反応を普段からしているんだろうなと思って、軽く消えたくなりました。いやもう、エホバの証人って公害なんじゃないだろうかと思いました。あぁ本当に嫌すぎる、わたしは一緒だと思われたくないと強く思いました。

そうやってわたしは、エホバの証人ということを隠してきた訳で、排斥になった時は天にも昇る(笑)程、嬉しかったのです。やっとエホバの証人じゃなくなった。もう隠さなくてもわたしはエホバの証人ではないんだ!やったー!って、それはそれは嬉しくて仕方ありませんでした。

だけど

その後の人生。

今度はエホバの証人だった過去を隠して生きてきました。誰にも知られたくないし、自分でも忘れたい過去。消したいと思ってる過去。

1年と少し前に、やっと旦那には打ち明けたけど、決して多くを語らないわたし。なんとなく察する旦那(笑)

今でも旦那以外は、わたしがエホバの証人だったことを知りません。知人には誰一人知られたくないと未だに思っています。

なんだかなー。

エホバの証人である事を隠して生きて
辞めたらその過去を隠して生きてきて

わたし、ずっと正体隠していますね。
それについて、どうこう思う事もないのですが、

ただただ

なんだかなー って思います(笑)