紅葉 | 奮闘日記

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元JW2世の人生



先日、旦那と紅葉を見に日光まで行ってきました。木々が色づき始めているのを見ると、秋なんだな〜って感じます。




この時期になると、わたしはいつも母を思い出します。母は花や景色がとっても好きで、特に紅葉は毎年見に行く程大好物なんですよね。

わたしは子供の頃とても感情が乏しく、特に喜怒哀楽の喜と楽が殆ど無かったかもしれません。わたしは常に、今の状況で何を話すのが正解なのかを瞬時に考えて発していたと思います。

心や感情を出すことは懲らしめの対象だったからです。

遠方区域に奉仕に行く時、そこまで行くにはちょっとした峠を越えて行くのですが、秋になると紅葉を眺めながら車で行き帰りできるのです。毎年のように母は『わ〜!見て見て!とっても綺麗に色づいている!ほらあそこなんて、色のグラデーションが素晴らしいよ!』なんて歓喜の声を上げていました。

わたしはそんな母を見て、
そんなオーバーリアクションしなくても見たら分かるよ・・・なんて冷めた目で白けていました。この思いは日々あって、母が育てている花に蕾がついたとか、花が咲いたとか、どこどこの景色は本当に綺麗だったとか、母の感動した話はいつもオーバー過ぎて、なんでそこまで大げさに人に話すんだろうって思っていました。

そんなわたしがエホバの証人を辞めて遠い土地に移り、まだ小さい長男と帰省した時、母と祖母と紅葉を見に行ったんです。エホバの証人を辞めて5、6年くらい経っていたかな。

鮮やかな紅葉の景色を見て
わたし、とても圧倒されました。
綺麗とかそんな言葉では言い表すことのできない、圧巻の景色。壮大さ。息を呑むほどの絶景。
この場所はエホバの証人時代も数回訪れた事があって、初めての場所ではありませんでした。

オーバーリアクションだと思っていた母の感動表現、全然おかしくなんてなかった。むしろわたしがおかしかったんじゃないか。わたしは今まで、なにか大切なものをたくさん見落としてきたような気がすると思いました。

エホバの証人の子供として育てられ、辛くても悲しくても痛くても、我慢を強いられてきました。子供を厳しく訓練する権利をエホバは親に与えている。親の言う事はエホバの言う事と同じ。子供はそれを敬意を持って従順であるようにと聖書は言っている。親に反抗することはエホバに反抗すること。

そう言って、父は殴り、蹴り、時には雪積もる外に裸足で締め出したり、山の墓地の中の柱に縛り付けて放置したりしました。

心が育つはずないですね。

もしわたしがエホバの証人を辞めることができなくてズルズルと続けていたら、きっと今のように景色に感動したり、空を見上げて青空や月をキレイだなと思ったりはできなかったのではないかと思います。

子供は、神や聖書よりも先に、自分で見て感じて学ぶことの方が大切だと思います。

わたしは今、紅葉を見て純粋にキレイだと思えるのが嬉しいです。ずっと、自分は欠陥品なのではないかと漠然と感じていました。でもエホバの証人を辞めてからは、自分にも人間らしい部分がある事を少しずつ発見してきました。

辞めて1番良かったと思えることは、
比べ物にならないくらい自分の心が豊かになった事かもしれません。それでもわたしは周りから、結構冷めてるよねなんて言われたりもするので、まだまだ心を育てられるかもしれませんね(笑)

北海道はもう紅葉が終わってるのでしょうか。母は、子供が家を出てからは毎年、紅葉を見にお気に入りの場所に行っていると言っていました。今年も見に行ったのかな。あの頃と同じような熱量で感動してキャーキャー言っていてほしいなと、紅葉を眺めながら思いました。