忌避されるようになってから10年。
最初のうちは
『あまり話せなくなったのよ』
暫くしてから
『用件だけ簡潔に話して』
でも、わたしは引き下がらず(笑)
普通に話し続けると、母もつられて普通に話し・・・30分とか1時間とか、結構長電話をしていました。
その後に
『組織も厳しくなったのよ』
そう言われてから、電話も素っ気なくなりました。思えばあれは2016年のビデオの時だったんだろうなと思います。
その時母は
『THYRRも排斥で離れたんじゃなく、不活発で離れたんだったら良かったのに』と言いました。
寂しそうな、悲しそうな、残念そうな口調は、今でもはっきりと思い出すことができます。
わたしもずっと、自然消滅すれば、きっとこんなに悩まなくて済んだのに・・・とか、もっと孫に会わせてあげることができたのに・・・とか、そんなふうに思っていました。
わたしはエホバの証人を成人になったら絶対に辞めてやろうと思っていました。当時辞める方法は、断絶しかないと思っていました。排斥は、罪を犯し、排除されることなので、「逃げる」とか「脱落する」というイメージだったのです。
断絶するにあたり、わたしの中では、エホバの証人の矛盾を突き付け、親を納得させる方法しかないと考えていましたが、わたしは、矛盾を調べるという目的があったとしても、エホバの証人の教義について調べる意欲すら湧きませんでした。
当時は調べると言えば、図書館とかですかね(笑) 今のようにネットも普及していなかったので、未成年のわたしにはハードルが高いのもあったと思います。でも一番は、わたしの一分一秒もエホバ教に割く気力も意欲もなかったんだと思います。
わたしはただただ、エホバが嫌で、辞めたくて、離れたい。それだけでした。
そして当時を振り返っても、少なくともわたしの状況では自然消滅は不可能だったと思うのです。
高校卒業後、寮付きの職場を見つけて家を出ることができたのに、わたしの父は、集会に出席していない事を知ると烈火の如く怒り出し、罵倒し、自分で辞表を出すか、もしくは父が職場に行って辞めさせるか、その二択でした。
結局、わたしは19歳で排斥になったけど、今考えると、断絶も自然消滅も不可能だったような気がします。
母が言っていた、不活発だったなら・・・って言葉は、すごく残酷だなって思います。
今は、断絶だろうが排斥だろうが、自然消滅だろうが、エホバの証人を辞めることができた、それだけで充分です。そのために両親や兄がわたしを忌避するのなら、それはどうしょうもない事です。
もうわたしの立場からはアクションを起こせない以上、やれることは何にもありません。
でも、わたしはやっぱり母や兄を嫌いになることは出来ないので、
せめて心のなかで
体を大切に元気でいてほしいと願っています。