こんにちは。

今朝は大雨警報解除されて注意報になってたのに

昼、いつの間にかまた大雨警報発令状態になってたw

~**~昨日の続きパート38です。

移植した年は2010年だったから

この38話で一応終わりです。

38話はツレの悪口みたいやけど

事実を言ってるだけやから。

聞いてね。

~**~**~

ツレの注文の話、聞いてください。

ツレはドナーになってくれたけどもう退院してるんですよ、この時は。

私はまだ、お腹に胆汁出す為のチューブ入ったままなんだよ。

クリスマスに”初めての外泊”どうにか、させてもらった私が病院へ戻る日に

この注文ですよ↓~**~**~**~**~

12月26日、2泊3日の初めての外泊から病院へ戻る日、

夫がマンションから電話してきた。

私の両親に夕食に何かお弁当でも買ってきてもらえないか頼んでくれと。

前日の午後、温泉浴場に行って長湯したせいか、

下痢で外に出る気力がないからというのだ。

娘に頼んだらというと、私が頼めというので、

娘にメールしたら娘の都合の時間と夫の希望する時間が合わなくて、

夫が『もう、ええわい!何も食べん!そのかわり、

○○(息子の名)も何もないけん!もうええ、もうええ!』と怒り狂って電話を切った。

仕方がないので、銀行へ私の通帳からお金を少し降ろしに行き、

病院へ連れて行ってくれる前に、

途中でスーパーへ降ろしてもらって、

小4の息子と一緒に夕飯のおかずになりそうなお惣菜を買った。

そして、マンションに寄って、おかずを夫に届けてから、病院へ戻った。

息子も病院まで両親と送ってくれた。

簡単そうだけど、外の世界で歩き回ることの大変さを

このときの私は身体の節々に感じていた。

病院内の廊下や階段のぼりの練習と

外を歩き、マンションの階段を上がることの違いの大きさが身にしみた。

車の乗り降りからして気合が要った。

外泊中、胆汁が出なくなった。

量を測って記録しておくという約束もあったのだけど、

せっかく、外泊できたのに、

電話して戻ってきなさいといわれやしないかドキドキしながらも、

一応電話はしておいた。

他に調子は悪くなってなかったから予定通り過ごせた。

息子と離れるのは淋しかったけど、病院に戻ることにもなぜかほっとした。

胆汁が出なくなって管を早く抜いてもらえないかな~という期待がだんだん大きくなっていた。

外泊から病院に着いたのは26日午後2時半頃。

息子は家に戻ったらお父さんと2人だけやったら嫌だなあ~といい続けていた。

姉ちゃんに早く帰るように電話しとってと言って父母と戻って行った。

昔から、入院中見舞いに来てくれた子供達を見送る時はせつなく悲しく淋しい。

けど、心の切り替えも慣れてきてる。

病院慣れしてるってこと?

その日は教授がひらりと

不意に私の病室に訪れてくれて胆管チューブのことを診てくれた。

『そこに出て来ないという事は下に流れているのでしょう。』と安心させてくださった。

それで、すぐにでも胆管チューブを抜いてもらえるだろうと思っていたのに

なかなか抜きに来てくれないので、受け持ちの先生達にしつこくせがんだ。

29日、やっと、胆管チューブをポシェットに入れてた長い部分を抜いて、

くるくるまきにしてお腹に留めた。

お腹には管が入ったままだけど、これでポシェットに入れてさげて歩かなくてよくなって、

随分身軽になった。

この、身軽さは幸せこの上ないことだ。

チューブを提げての生活は、赤ちゃん時の手術のときは知らないけど、

あと、他の手術時、いつも経験させられてきた。

これで、最後になりますように。

その嬉しいこととは裏腹に、

左足の甲の痛みが増して来てこの頃になると

歩くにもびっこを引くようになってきた。

夜中の痛みがひどくなって、寝ていても目が覚めるくらいにじんじん震えるようになっていった。

カロナールをもらって飲むようになった。

30日、当直の皮膚科の先生に来てもらって診て貰った。

皮膚が壊死した部分があって、場合によっては皮膚移植しなければ、

治るのに相当時間がかかるでしょうと言われた。

この日は、壊死した部分の皮膚をできるだけゆっくり

痛まないようにピンセットで剥いでいき

ゲーベンクリームを塗ってもらって、クラビットを出してくれた。

足が痛くて、大晦日、元旦の外泊はしないことに決めた。

娘が帰って来てや~としつこく言ってくれたけど、

病院でゆっくりしている方が私には楽だった。

病院だと、栄養のバランスの摂れた食事が出てくるし、

両親に余計な気遣いをさせなくてすむから。

夫はマンションには帰ってきて欲しくないだろうし。

堪忍してや~の声が響いてた。

大晦日は、弟夫婦が見舞いに来てくれた。

弟はドナーを申し出てくれて何度か病院へ来てくれていたので会っていたけど、

義妹にはひさしぶりに会った。

娘から、聞いていた。

義妹は最初からドナーは弟に、『あんたがなれば』と平然と言ってくれていたこと。

まだ、小さい子ども達を2人かかえている家庭なのに。

頭が狂っていた頃から、義妹にも迷惑かけてごめんねを直接言いたいと思い続けていた。

メールを送っていたけど、肝性脳症の時は意味不明のメールになっていたと思う。

2010年のうちに会えてよかった。

一応、2010年の話は、大晦日でおしまいなので、これでやめときます。

お腹に胆管つけたままの状態で翌1月15日に一応退院し、

2月、3月とまた再入院しますが・・・

 どんなに強烈な日々も、時と共にどんどん遠くなっていくのでしょうか・・・



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