こんにちは。

昨日はツレと岩盤浴のある温泉施設行ったけど

コロナの所為で岩盤浴用のタオルが決められて

1枚200円、2人で400円余分に入っちゃったよ。ショボーン

長いこと岩盤浴に入ってたら疲れたぁ~

露天風呂では暑くて陰のチェアでのんびり座って風に

あたる時間の方が長かったよ。それが心地よかった~

生きてるって風も感じられてしあわせ・・

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でも、死ぬかもしれない、死ぬ確率の方が高いって

絶望に追いやられた時の、私の話、聞いてください。

ドナー候補してた夫が急きょ止めると言い出し、

もう一人のドナー候補の妹の連れ合いは妹がドナーに

なるのは勘弁してほしいと父に涙ながらに訴えてきたって

時期があって、予定してたオペ日は御流れになってた・・

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妹の夫、義弟がひとりで私の病室に来てくれたことがあった。

他県から、わざわざ私の主治医の話を聞くために来てくれた日だった。

肝性脳症があって、意識がたえず虚構と現実を行き来して

アルコールに酔ってるときのような景色の中にいた私。

それでも、部屋に入ってきた義弟の顔を見て、

思わずうれしくて、申し訳なくて、『○○ちゃん!来てくれてありがとう!ごめんなさいね・・』

と言ったと思う。

その頃は、妹家族にも、弟家族にも、大迷惑かけて

本当に申し訳なくて仕方ない気持ちでいっぱいだった。

どちらも遠くに住んでいるので、ここに何度も足を運んでくれるだけでも、

申し訳なく思っていた。

妹がドナー候補になってくれていて、義弟には納得いかないだろうなとも思っていたし・・

それなのに、義弟は、何度も、『お姉さん、大丈夫!絶対、よくな...りますからね!』と

私を励ましてくれた。力をこめて、何度もそう言ってくれた。

後から聞いたのだけど、義弟がT先生の話を聞きに来てくれて、

ドナーに誰がなるかの身内の話し合いの場をもう一度持つことができたようだった。

夫がドナーになると言った翌日、

やはりならないと断わっていたので、

最初の手術予定日も伸びて、

このままでは県病院に戻って脳死者からの提供の順番待ちをするしかない

と言われていた。

登録しても、間に合う状態でないのは確実だったので、

娘は絶望的な状態だったんよと後に教えてくれた。

私はそういう状態になってるなんて知らずにただ、

血液型の同じドナーなんて、いないし、

適合するのはO型の人だけど、それも親戚にもいないって知ってたから

先が暗闇で見えなくて怖かった。

父の兄弟で一番下のおじさんはまだ、年もドナーに認められる年のはずだったけど

長いこと、音信不通になってる人だった。

そのおじさんの居所を調べてくれて連絡をとってくれたのを後から知った。

けど、おじさんも遠くに住んでる上、肝臓を悪くしていた。

おじさんから届いたぶどうを両親が病室に持って来てくれた。

私は『これは特別なぶどうなんよ。』と、言って、

病室に来る看護師さんたちに自慢していた。

本当は食事制限があって、なんでもかんでも食べたらいけなかったのに、

黙って食べた。

後から、『先生に許可受けてから、食べるように・・・。』と看護師さんに注意された。

食事はいつも食べにくかった。

喉だけやたらに渇いているので、

朝食のパサパサのパンが食べにくかった。

パンにつけるマーガリン&はちみつをあまりつけたくなかった。

夢か現実か、ある時、ベテランの看護師さんが一緒に朝食に付き合ってくれて

全部食べるようにパンにたっぷりマーガリン&はちみつをかけた。

ベトベトなりながらそれでも頑張って食べた。

『こりゃあ~パサパサで食べにくいの、わかるわ。もっとおいしかったらいいのにね。』

とうなづいてくれてた気がする。

それでも、ずっと食べ方を指導しながらそばにいてくれたおかげで何とか全部、

食べてまともなお通じが出たという夢に変わってた。

めずらしく、固形物の便が出て喜んでた。

夢の中か、現実か、わからないけど。

でも、大抵は『毎日、全く同じ物が朝、出てくるんよ!

全く同じ、野菜のサラダにパン、牛乳に果物よ!』と文句を言っていた。

アミノレバンというまずい薬のようなもの。

水に溶かして飲む。

いろんな味を好みで選んでは作ってもらう。

ミックスとかパイン味とか抹茶とかコーヒー味とか、

生ぬるいのは嫌いで、ガンガンに氷入りで冷やしてくれる看護師さんがやってくるのを

すごく楽しみにしていた。それだけは喜んで飲めた。

粉末状のものを溶かすとき、バーテンダーがカクテルを作る時みたいに、

”シャカシャカ”振るので、よく、『シャカシャカ作って!』と頼んでいた。

自分でするときもあった。

だけど、それさえ、飲み方に気をつけなくては後で、

のどの渇きの元になってしまう。一気に飲み干すよう頑張った。

両親が持って来てくれるものは、大抵甘ったるくて、

後にのどの渇きを誘発した。

いつも、水を欲していた。

絶えず、冷たい水がほしいのに、病室の水道の蛇口からは熱いお湯のような水が出た。

最初の移植術の説明会、

カンファレンスで私抜きで家族が呼ばれて行われた日。

夫は先生達への質問で、

『もし、ドナーになったら、自分は乗馬クラブに行ってるのですが、

乗馬はいつ頃ぐらいからできるようになりますか?』なんてことを聞いて、

そのときは自分がドナーになると言ったそうだ。

でも、その翌朝、娘を起こして、『じいちゃんとこ、行くぞ。』と言って

私の実家へ行き、父にドナーにならないと言って先生に電話して断わったそうだ。

娘に、夫は『俺のこと、恨んでもええぞ。1晩考えて、

もし、反対の立場やったら他人の肝臓もらってまで、

生きようと思わんからドナー、辞退するんじゃ。』って、言ったそうだった。

そんなことがあったなんて、

つゆ知らずに、私は病室で幻覚や妄想、時に現実、混沌とした世界、

狂った次元の中で足掻いていた。

適合するドナーなんて私には誰もいないし、

どうせ死ぬならもう楽に死にたいと思った。

入院になる以前、テレビドラマで『美丘』という脳の不治の病いで死んでいく女の子の話を見てた。

あのこのように、だんだん、記憶がおかしくなっていく。

私もこんな状態苦しすぎる。

みおかが最後、息をひきとったシーンが頭に浮かんで、

私も静に息止まらないかなと願った。

頭の上にはいろんなコード類があった。

自分の首にぐるぐる巻きつけて絞めてみようと試みた。

何度も試みた。

もっと太いコードないかといろいろ束ねて巻きつけてみる。

看護師さんに見つかって、『なに、まいとるん!?なに、しよるん!!』怒られた。

たくさんやってきて解かれ、

締め付けようとしてた私の腕をとって皆にはずされる。

『死にたい!はやく楽になりたいんよー。なんで、はずすん?!』ってもがいた。