今年も8月6日がやってきましたね。

もう、73回目なんですね。

ついこの間、50回目って言ってたような気がしてたけど。

何度も書きますけど

私の母は73年前の今日、

岩国市の畑から、広島の方角の空に

立ちのぼったきのこ雲を

不思議に見てたそうです。

母7歳の頃です。

その母から生まれてきた私は

関係ないのだけど、どこか

もしかしたら、私の前世は

あの原爆投下で亡くなった人だったんじゃないかって

思ってしまう程、原爆の話に敏感にひきつけられます。

小さい頃から広島の原爆で被災した人たちの

ドキュメンタリー番組のようなのを

テレビで見て、酷い恐ろしい姿、目を背けたくなるような

身体になった人達の映像を見たりしてたせいかも、

小さかったからか、物凄い衝撃を受けてました。

小学校でも原爆の悲惨な話をよく聞かされてたし

夏休みといえば、戦争ものの読書感想文とか書いたり

『猫は生きている』って絵本が映画化されてたのを

(これは広島ではなく東京の大空襲の時のお話しですが)

観に行った記憶あります。

中高生の時も、戦争ものの本は夏休みには必ず読んでました。

中学1年の3学期に松山に引っ越した時

こっちの友達が、広島原爆の投下の日時を

知ってない人が結構いて、びっくりしたのが

衝撃的に記憶に残ってます。

広島原爆投下の日時を言えない日本人がいるなんて

思いもしませんでしたから。

~**~**~

yりんが小学生の時は

原爆の話を知ってもらいたくて

『はだしのゲン』の映画を観に連れて行きました。

長崎の原爆投下の映画はビデオを借りてきて

観ました。

原爆資料館に、yりんとれいきと3人で行ったこともあります。

原爆資料館は

昔、私が小学生の頃行ったときとも、

22歳の頃行ったときとも、変わってました。

小学生の時の記憶の方が、息もできなくなりそうなくらい

衝撃で身震いして暗くて重いものがのしかかってくる

気がしました。

~**~**~

生体肝移植術の前後、

肝性脳症で、妄想幻覚幻聴状態の時

原爆が落ちてきたと思い込んだり、

千羽鶴を折っていた禎子さんは実は私?って思いこんだり

死はひとりで何度も繰り返してる私だけがって

思ったりしてたのも、原爆の怖さと繋がってる気がしました。

ICUで、ラジオから流れてきた

クミコさんの『INORI~祈り』っていう歌。

禎子さんが、病室で薬を包んでた紙を使って

千羽鶴を、願いを込めて折ってた様子の歌。

それが流れてくるのが、

その時の私はまるで自分の事のように重なって

泣けて泣いて泣いて泣いてました。

移植が血液型不適合の立場だったから

成功率50%って聞いていたし。

この歌は、健康体に戻れなければとても

聴けそうにない歌です。

ICUで、おいおいそれこそ声に出して泣いてました。

名曲でも、聴く人のその状況によっては・・・

怖かったです。そこ知れなく、そのときの私にとっては。