大部屋に移って、同じように、

旦那さんにドナーになってもらって移植したという同世代の人と

同じ部屋になったことがあった。

その人は、私が術前、大きなお腹で看護師さんに付き添われてやっとこ、

やっとこ廊下を歩いていた折、

看護師さんが、『なつかしいやろう~覚えがあるやろう~』とその人に声を掛けていた人だった。

時々、見かけるその人がさっそうと細身の身体で歩いているように見えて

まさか、移植後の患者さんだとは、その時の私は思いもしてなかった。

大部屋で、向かい側のベッドにいたのはまさにその人だった。

その人は移植してはや、6ヶ月になると言われた。

ふつう、食器などのミルトン消毒は3ヶ月頃までと聞いていたが、

その人はまだ、ミルトン消毒もしていて、

私達は同じミルトン消毒窓際族となった。

そういえば、個室にいたとき移植して

2年経過している患者さんの話を聞かせてもらったときも、

私の後に、彼女も話を聞いていた。

同じ年に移植した同士、私にとっては最初の友人だ。

残念ながら、せっかく同じ部屋だったのに、

2日後に、私は隣の大部屋に変わらなくてはならなくなった。

2年前に移植して通院している人の話を聞いて、

落ち込んだことは、お腹にステントというチューブを入れてる場合、

その交換と肝生検などの為に半年に1回とか、

入れ替えの為の入院が1週間くらいあるということだった。

肝生検は、術後まだ、息がしにくいときしたが、

看護師の卵さんたちはじめ、

多くのギャラリーに囲まれて先生達の緊張も伝わってきて、

局所麻酔を打ってからも何度も練習ねと言われながら、

呼吸を一時止める練習しながら、

本番はまだかまだ~?と長い時間かかった。

あげく、1度目はちゃんと採れてなくて

2度刺されたし、局所麻酔も2度し直した。

緊張が長く続いてぐったりした記憶が残って、できるだけやりたくない。

ステントというのも、内視鏡つかうようなのはこりごり、

大嫌いな処置だ。

それで、入院となると思うと心がどんより曇った。

でも、すべて受け入れなければならないのだ。

そういえば、病棟の廊下を歩く練習をしながら、

よく、心の中で、自分に言い聞かせたものだった。

『もう、移植してもとの身体ではなくなっちゃったんだから、

この身体に慣れるしかないんだ!!』って。

身体障害者になったってことも、術後に初めて知った。

だから、呪文のようにくりかえしくりかえし、

この身体になれるしかない、なれるしかないとつぶやきながら歩いた。

病棟に戻って、3週間経った頃、

12月24日、25日クリスマスに外泊許可を出してもらえた。

しかも2泊して26日の夕方までに戻ってきたのでいいよと言って下さった。

うれしかった。やったあ~って皆も言ってくれると思った。

でも、夫は口を切るなり『堪忍してや~』だった。

娘からのメールも、『どっちかと言うと、大晦日と元旦に帰ってきてほしいなー

ダメなんかな?』だった。

私は一刻も早く家に帰りたいのに。

病院の外に出たいのに。

娘はもともと、クリスマスの予定があるのは知ってたから、

家にいない時間があるのはわかっていたけど、

『よかったね』って言ってくれるものと思ってたのでショックだった。

夫が嫌がるのは想像できたけど、なにもあんな言い方しなくてもとやはりズシンときた。

やはり、実家に帰らせてもらおうと遠慮がちにメールしたら、

親元は遠慮はいらないよと返信されてきた。

~**~**~**~**~**~

関係ないけど、今日やっと『君の膵臓をたべたい』の映画のDVDを観たよ。

小説は読んでたけど、

映画も観たいって思ってたから、DVDが準新作になるの、待って

借りてきた。

小説では最後に携帯を見せてもらって

彼女が最後のメール、ちゃんと見てたかどうかを

確かめてたけど、映画ではそれ、なかった。

それが大事なのになぁ~ってそこんとこが残念。

でもやっぱ、感動ものの映画です。

生きるということの意味を問うてきますよ。

人生は、偶然に出会ってるんじゃなく

自分で選択してきた結果、交わって出会うのだから

自分で決めて歩いてるっていうような桜良ちゃんのセリフが印象に残ったよ。