前回の2010年の話パート27を書いてから随分間が空いてしまって、

やはり、人間の記憶って生生しさが残ってるうちに

早めに書いておくべきだと思う。

あんなに、強烈な苦痛と混乱と恐怖、

絶望、不思議な時間を過ごしていた2010年の話も、

喉もと過ぎればなんとやら・・

ただ、強烈な日々だったことだけが脳裏に焼きついているだけで、

具体的な内容がどんどん、薄れてきてそれこそ

お話の世界だけになってしまう。

現実に身にしみて味わったことも想像の中の物だったみたいに幻じみてくる。

2010年11月16日、

やっと、現実に私の移植手術をしてもらえる日がやってきた。

バカな反乱を続けてもう見捨てられたものと思い込んでいたけど

病院の先生達は本当に患者を救おうと努力してくれている方達だった。

人体実験されると思い込んでいた自分の方が肝性脳症で狂っていたのだ。

家族も私のために話し合い努力してくれていた。

見捨てられたと思い込んでいたけど、私の方が間違ってた。

夫の血液型が私には不適合の生体肝移植で、

拒絶反応出て、死んでしまっても本望。

ドナーになってくれるというのだから、それに報いなくちゃと思った。

もしかしたら、性格が合わない分、肝臓は合ってくれるかもしれないと思った。

手術当日の早朝、

身内がみんな揃ってきてくれた。

義父と義妹も高松から来てくれ、病室に入って来られたときは、

申し訳なさで涙がこぼれた。

夫をドナーにさせてしまうことを謝りたかった。

息子の身体を傷つけるなんてと思われてるだろう。

さぞ、心配だろうと思った。『ごめんなさい。すみません。』それしか、言えなかった。

いよいよ、手術室へ、向かう時が来て

ストレッチャーに移され、

エレベーターへ向かうとき

廊下に身内だけでなく、

看護師さんたち、ドクターたち、

皆が両脇に並んで見送ってくれるのに、感激した。

見慣れた顔、顔、顔、皆、『がんばってね・・』などと口々に声かけしてくれる。

一人一人の声かけがとてもうれしかった。

勇気を与えてくれてる気がした。

ドナーになってくれる夫もいて、うろうろしていたらしく、

最後にエレベーターの扉が開いて、乗り込もうとしたとき、

私の主治医のT先生が『ご主人、奥さんに何か・・・』と言ってくださったのが聞こえた。

それから、『後から、いくけんな!』と言う夫の声が聞こえた。

・・・初めて、夫から心強い言葉をもらった。

言葉が草木なら、押し花にして残しておきたいと思った。

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何気に気になる”命に嫌われている”って歌、

貼っちゃいました~