『聲の形』映画館で観そびれて、TSUTAYAで借りてきて観た。

 

~

 

小学校の頃、耳の聞こえない女の子が転校してきたことから

 

始まる人間関係。こんな子いるいる~って子がたくさん

 

出てきて、クラスの集団の中にいるとこういう関係性できちゃう

 

だろうな~みたいなのが誰もが想像できることだと思ったよ。

 

いじめる側になってた男の子が、いじめられる側になって

 

しまって、変わっていく。

 

いじめを一人だけの所為にして、自分はそっち側じゃなかった

 

って言い出す、仲良かったはずの仲間たち。

 

そういうとこ、腹立つ。

 

いじめられて傷つくのは誰かひとりからの

 

行為ではないよ。集団からの視線だよ。見て見ぬ振りも

 

同じことだ。誰も助けてくれないってことで傷つくんだって思う。

 

高校生になって、再会して・・・・・昔の仲間とも

 

再会して、一度一緒に遊びにも行ったりして楽しくなりつつあった

 

主人公の男の子。だけど・・・・・

 

また、昔の話がもちあがり、再び、険悪に・・・・・

 

橋の上での、やりとりでまた皆が離れていっちゃったシーン。

 

主人公の男の子が言ったセリフに、皆、離れて行ったけど

 

あれは真実を言ってるよ。って思った。

 

みんな、真実を言われたから傷ついたんだって思う。

 

最後の方で、自殺しかけて主人公の男の子に助けられた女の子

 

に、昔の女の子が抱きついてきて(無事だったのを喜んで)

 

言ったセリフ。

 

「みんな、おんなじだよ。哀しいことあって死にたくなることも

 

あるけど、死んだらダメだよ。みんな同じなんだから~」

 

って感じのこと言ったけど、それ、ちがうでしょ。

 

耳の聞こえないってハンデ持ってない子が持ってる子に

 

言える言葉じゃないと思うよ。

 

耳の聞こえない女の子に、「あんた嫌い。」とはっきりいう

 

ツンデレ風の女の子は、強気で一見嫌なタイプだけど

 

いい子ぶって、自分が何か言われるとすぐに被害者ぶって泣い

 

ちゃうか、攻撃してくるさっきの「みんなおんなじだよ」って言った

 

女の子の方がツンデレ風の子よりもっと、嫌いって思ってしまうよ。

 

それから、耳の聞こえない女の子が

 

ハンデを持つが為か、すぐに同級生に謝ってたのって

 

「なんで、あやまるんよー」って観てても、叫んじゃうくらいだったよ。

 

いじめられてるのに、謝る必要なんて微塵もない。

 

ハンデを持ってるのは自分の所為ではないし

 

もっと強気でいいって。悪いことをされたら、怒るべきだよ。

 

もともと優しい遠慮がちな性格で、ハンデ持ったが為に

 

なお、自分の事を卑下してしまうようになったのだろうけど。

 

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この映画は、小学校の時の同級生や、中学時代もちらっと、

 

高校生になって初めて友達になった子達や、

 

それに主人公や、耳の聞こえない子の

 

家族も出てて、

 

それぞれの、その立場の思いも描かれていて

 

みごたえありました。

 

様々なタイプの子達や大人達とのつながり方、

 

コミュニケーションのとり方、友達の定義とか~

 

改めて考えさせられると思いますよ~