今日は、ツイッターで呟いた私の質問に答えてくれたBちゃんの
OP日。生体肝移植の。
去年の8月、初めてツイッター登録して呟いた~
『先天性胆道閉鎖症の人、手挙げて~』
そしたら、程なく
『ハイ
私がそうです!』
って答えてくれた人がひとりだけいた。Bちゃんだ。
まだ、生体肝臓移植はしてないってことだった。
だけど、何度か入院した~ってのがあって、
今度は移植手術が決まったって呟いてた。
それが今日。
しばらく、ツイッターでお目にかかれなくなっちゃうけど
昨夜は、『交流のあった方々は、私のこと、忘れないでいてくれる
と幸いです』って呟いてた。
大丈夫!待ってるね~メッセージでもやり取りしてたBちゃん
順調にいきますように、祈ってるから・・・・・・
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生体肝移植手術の時、レシピエントは(移植される人は)
術後、身体にこんなにドレーンとかチューブ、つくんだよ。
ドナーはちょっと少ない、ドレーンが入る数が。
ドレーンは麻酔から覚めたら入ってるだけで痛い。
私がした他の3回の胆道再建術の時は、ICUは長くとも3日くらい
だったけど、移植手術の時は2週間入ってた。
ICUは24時間、明々と電気ついてる。窓もない。
ICUも個室の時と、大広間みたいなときとあったよ。
個室の時はほんと密室。でもガラス越しに向こうにナースがいるの
わかった。ドクターの姿も。
ICUで、目覚めたら時間の感覚、ない。朝か昼か夜か、全く
わからない。で、テレビが見れるようになったら
ⅮVⅮ、つけてもらって、『崖の上のポニョ』を24時間、繰り返し
繰り返し、見た時あった。ナースがやってきてびっくりしてた。
最初に目覚めたのが何日目なのか、知らない。
もちろん、目が覚めてもすぐ眠って、の繰り返しから始まったから。
ラジオの音が流れてたりして~
あーでもその記憶は、手術前の3日間、
私の移植は血液型不適合だったから
”超急性拒絶反応”を抑える為、血漿交換をしにICUに通ってた
もちろんストレッチャーで連れてこられてた。
3日前から、そのために足の付け根からチューブ入れてたから
どっちの足だったか、曲げれない状態になってて、ОP日より
前からストレスかかってたよ。
そのときのICUの記憶と混ざってるかもしれないけど。
ラジオから流れてくる話の中で、
原爆で被爆したお母さんから生まれた女の子が
病気で亡くなってしまう、千羽鶴を折ってたお話しとともに
『祈り』って言う歌だっけ、あれが流れて
ほんとう、こわかった。
脳症で幻覚みたとき、自分が原爆にあったとばかり混乱してた時も
あったから、その女の子と、自分が重なってた。
私も死んじゃうんだって思って泣いた、泣けて泣けて
涙が止まらなかった。
音楽も、リラックスする癒しの為に、CⅮかないか、かかってたん
だと思うけど、流れてくる音楽の中に
タイタニックの、あの有名な曲もあった。
元気なときだったら素敵に聞こえるけど
ICUで聞いたときは、またもや、こわかった。
泣けた泣いて泣いて泣いた~私も死んじゃうって思わされた。
なんで、こんな歌、私に流すんだろう~と思った。
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ICUにいた2週間、もちろんずっとベッド上。
個室の期間は、苦しくて苦しくて、痛くて痛くて
ナースは頻繁に来てくれてはいるけど、私には時間の感覚がない。
子どもみたいに、泣きわめいて、
『誰かー、看護師さーん来てー』っておいおい大泣きしながら
呼び続けてた時もあって、ガラス越しに見かねた若いドクターが
「看護師さん、呼んでますよー」って言ってくれたのを覚えてるよ。
ドクターは何かしてたからね。
たぶん、めちゃくちゃ看護師さんに文句言ってたのかもしれない。
あるとき、『私だって、注射の練習したりでこの腕、見て~
痛いことあるし、
看護師だって心は痛むんよー』って
言われた。・・・・・・それで、私、看護師さんに感謝の言葉かけて
なくて、呼んでもきてもらえなかったんかなと思った。
それからは、言葉に気をつけたと思う。
ICUもいつまでも個室だけにいるわけでなく
大広間みたいなとこで、カーテンで、両隣のベッドとしきられてる
空間の方へ、移されてからも何日間か居た。
その時も幻覚、幻聴、いろいろあった。
カーテンで仕切られてるだけやから
隣のベッドの人とドクターの話も聞こえる。
ある時、癌で、手術したけどとりきれなかった云々の
話しが聞こえてきた。心にズーンときた。隣はしーんとしてた。
痛み止めの薬、私の分、その人につかって~って麻酔科の
ドクターに言ったら、『我慢せんでいいよ。あまり痛かったら
あの人はあの人のがあるから~』と言われた。
そうだよね。まともな頭でなかったから、そんな思ったことを
すぐ、口に出してたよ。
前にも書いたけど、今、私のベッドの傍に居てしゃべってた男の
看護師さんが、会話してたのに、わたしの質問に何も答えなくなっ
て、固まって身動きなくなってマネキンみたいになって
まるで映画のように、ビラビラってなって身体が
消えてった。目の前で。
それとか、私の点滴につるしてあるものが、動物の臓器に
変わってたり、”お前は×、死ね、”って書いてあるのが見えたり
ベッドで横になってる状態なのに、
看護師さんが歯ブラシ持って来て、歯磨き粉つけて
磨けと言う。歯磨き粉が残ってすっきりしない。
コップ1杯の水ではすすげない。
口にはまだ、残ってる感があるのに
次、このお薬飲んでーって持ってくる。
仕方なく、歯磨き粉も飲みこんじゃったぁ~
死なないかな……って心配した。
子どもはICUには、入れなくて、その時小学4年生だったれいき
とは2週間、会えなかったことになる。
ICUに居た子ども(患者)の泣き声、聞こえて、
『れいき~れいき~』って間違えて呼んでた。いるのかと思って。
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移植手術や前後の話をしようと思えば、どこまでもきりがない。
退院できて日常生活に戻れるまでそれはそれは時間、かかったけど、
あるとき、まだ、れいきは小学生やから、子供会の役員さん、
訪ねてきて、私のことは手術でいなかったの、知ってるから
『大変でしたね~私やったらとてもそんな勇気、ありません~』
『ドナーはご主人でしたか~
素晴らしいご主人ですね~愛されてますね~』
・・・なんてそのおかあさんは言って来た。興味ありげに。
なんなん、この人!!って思ったw
私やったら、勇気ない?勇気ないなんて言ってる場合とちゃうわ~
命がかかっとるのに、選択の余地なんて、ないんだよー
いつもそうだった。そうするしか、あるがままを受け入れて
俎板の鯉になるしかないんだよー
バカちんがー
って感じ?(´∀`)
全く、簡単なことじゃなかったんだよー
何もかも。
それが世間の人にはぜんぜんわかってもらえないよね。
身体的にも精神的にも。
ドナーを決めるのにもどんなに神経つかうか
ジレンマばかり起こるんだよ。あれこれと。
ってことで、もうここで止めときます。
今日のBちゃんのOPも12時間かかるでしょう~
順調にすすみますように。
ドナーの家族の方も大事にいたりませんように。
最後まで読んで下さった方、ありがとうございました。m(_ _ )m
