4月になりましたね~桜~*さくら*~*さくら*~桜桜

 

私の母方の祖母の命日がやってくる月です。

 

私の祖父母の思い出は

 

ほとんど、母方の祖母とのことです。

 

父方の祖父母は

 

昔の人にしては背の高いじいちゃんで

 

少し、会話した記憶があるけど

 

私が小さい頃

 

トラックにひき逃げされてしまいました。

 

祖母は病気で入院してて

 

そのお見舞いから帰る時の事故だそうです。

 

祖母も程なく亡くなって

 

お葬式に行って

 

煙突から煙が出て行くのを

 

空へ上がってくよ~って言われて

 

見てた記憶があります。

 

母方の祖父は私が生まれた時から

 

既に他界していて

 

写真でしか見たことないので

 

母方の祖母だけが

 

私らのばあちゃんという人でした。

 

ばあちゃんは一番下の女の子の私の母を

 

すごくかわいがってたので

 

その長女として生まれた私のことも

 

すっごく大事にしてくれました。

 

この写真、見て~

 

祖母のちびっこの私を見る目

 

 

古いアルバムから撮ったから

 

ぼやけてるけど。後の2人の人は親戚の人デス。

 

母が写ってる同じ場所の写真もあるよ~

 

 

私の列の反対側の端っこが母です。

 

若いなあ~

 

甘えんぼの子どもっぽい母さんは

 

週末になるとよく、

 

私らを自転車に乗せて

 

ばあちゃんちへ遊びに行ってました。

 

私が3歳まではばあちゃんちの

 

離れの部屋で暮らしていて

 

父が株で儲けて自分たちの家を新築して

 

引っ越してからの話ですけど。

 

一緒に暮らしていた時も

 

たまに泊まりに行った時も

 

ばあちゃんはなぜか、

 

私だけ、一緒の部屋(その離れがばあちゃんの寝室になってて)

 

で一緒のベッドで寝よう~

 

って言われて

 

ほんとは

 

妹達みたいに

 

みんなで母屋の広い部屋で寝たかったけど

 

幼いなりに、ばあちゃんと寝る方が

 

嬉しい!って演じてました。

 

家族でいろいろな場所へ

 

ドライブして出かけるときも

 

祖母をいつも誘って行ってたよ~

 

今から思えば、父さんはよくやってたよね。

 

それから、ばあちゃんちへお嫁に来た

 

○○おばちゃんも。(一番下の母の弟であるおじさんのお嫁さん)

 

ばあちゃんは、結構、口が悪かったし勝気だったからね。

 

それに、毎週のように、私らがやって来て

 

お昼ご飯の用意だの、

 

大変やったやろうって。

 

おばちゃんにとっては

 

義母に義姉だもんね~それにちびが3人。

 

結婚してからそういうことに

 

気づくんだよね。

 

大人になって結婚した後の

 

いつか、そういう話、電話で

 

おばちゃんにして感謝の気持ちを伝えたよ。

 

祖母は私が21歳の春

 

4月10日の明け方

 

天国へ旅立っていきました。

 

もうその時は

 

私らは、祖母のいる岩国じゃなくて

 

海を隔てたこっちに越してたから

 

あまり、

 

会いに行けなくなってて

 

骨折して寝たきりになったって聞いたとき

 

会いに行こうと思ってたのに

 

ちょうど、私もスケートで骨折してて

 

腓骨と靭帯をね。

 

もう少し後で~って思ってた矢先で

 

ショックやったよ。

 

ごめんなさいって後悔が続いた。

 

お葬式に行った時は、私のギプスは外れてて

 

松葉杖状態やったけど。

 

帰りに柳井港で撮ったきょうだい3人の写真

 

~弟の隣にいるのが私。後ろが妹。

 

松葉杖は写らんように他へ

 

置いて撮ったよ。

 

母方の親戚は岩国に多いちゃ多いけど

 

けっこう、千葉とか、名古屋とか広島とか

 

ちらばってもいて

 

なかなか会えないので

 

ばあちゃんのおかげで

 

久しぶり、みんなが集まれて

 

おじちゃんにも

 

『ばあちゃんのことで、後悔ばっかしても

 

いかんよ。前向いていかんと~』

 

って言われたけど、あれはおじちゃん

 

自分自身にも言ってたんやと思う。

 

『誰にも負けるなよ~』って言ってたばあちゃんの言葉

 

ばあちゃんは勝気な人やったから。

 

その言葉、誰にものとこ、自分に、に変えて

 

がんばるよ。キラキラ